「おねぼく ―あこがれのおねえさんに憑依してしまったぼくの日常―」 作・JuJu 【第2話(全10話)】 ぼくは、ぼくの本体を捜すために、町の上空を浮遊していた。 春の空はわずかに雲があったが、よく晴れていた。幽体のぼくには肌の感覚はないが、気持ちのよい気候だというのはわかる。 初めて幽体になったときよりは、すこしだけ速く進めるようになったけれど、やっぱり移動速度は遅い。体がふわふわして、まるで自分の体じゃないようだ。 しばらくして、ぼくの本体を見つけた。なにしろ自分同士だ。ぼくが歩きそうな道や、行きそうな場所は誰よりも詳しい。 しかし見つけたものの、本体のぼくは歩いているので、のろのろと遅い幽体のぼくはなかなか追いつけなかった。 見失わないよう懸命に追跡を続けていると、ぼくの本体が突然、道のまん中で立ち止まった。 『?』 あたりには信号もなければ、踏切もない。車が来たわけでもない。人通りもほとんどないような住宅街の道で、ぼくの本体はなぜか棒立ちになっている。 理由はわからなかったが、好機だと思った。 一気に距離を縮める。 本体のぼくの隣まで来た。これで体を重れば、きっと元に戻るはずだ。いや、戻ってくれないと困る。 そんなわけで、合体して元に戻ろうとしたその瞬間、明るい女性の声がした。 「あら? 日宵くんじゃない? こんにちは!」 その声の主は、大学生の尾根江瑚(おねえ さんご)さんだった。ぼくの家の隣に住む、あこがれのお姉さんだ。スリムなジーンズがよく似合う、あまりに素敵な人で、その姿を見てしまうと、ぼくの意識はぼんやりとしてしまう。 「こ……こんにちは」 本体のぼくは、うわずった声で返事をする。 なるほど。本体のぼくが道端でとつぜん立ち止まったのは、彼女の姿を見かけたからだったのか。 そしてぼくも、本体と同じように、合体するのをすっかり忘れ、瑚さんに見とれてしまっていた。 瑚さんは道を歩いて、どんどんこちらに近づいてくる。 長くて艶(つや)やかな黒髪。わずかにつり上がった目は猫を思わせる。桜のように血色の良い頬(ほお)。その頬から細い顎(あご)につづくやわらかいラインは、ぼくのお気に入りだった。 春物のセーターは、彼女の大きな胸にそって、きれいに膨(ふく)らんでいる。短めのスカートからは、黒いストッキングに包まれた長い脚が伸びている。 いつ見ても、ぼくの理想の女性(ひと)だった。 「日宵くんは、どこにいくの?」 瑚さんは、本体のぼくの方を向いて話しかける。 「あのその……。たいくつだったから、その辺を散歩していたんです」 緊張に顔を真っ赤にして、たどたどしく答えるぼくの本体。 「そう。わたしはこのあと、『アンキモ』でバイト」 アンキモというのは、「アンタ=キモイース」というファミリーレストランの略称だ。ファミレスと言ってもチェーン店とかではなく、個人で経営している。その上、料理の味も普通、内装も普通なのに、値段が高い。 しかし特筆するべきはこの店の制服で、おっぱいをやたら強調したようなかっこうで、しかもかがむとパンツが見えてしまいそうなほどスカートの丈が短いという、とても大胆なものなのだ。だから価格が高くてもとても繁盛していて、個人経営でも充分やっていけるらしい。 男ならば一度は行きたい店だった。お姉さんがそこでウェイトレスのアルバイトをしているとなればなおさらだ。 とは言うものの、ぼくもこれらの情報は噂に聞いただけで、実際に入ったことはない。小学生のぼくがひとりでファミレスに入るのは度胸がいるし、あるいは家族で行くにしても、そんな制服のお店に行くことを望めば、ぼくがエッチな人間だと思われるに違いない。そんなのは、とても勇気がわかなかった。 見れば、瑚さんと本体のぼくは世間話を始めていた。 ぼくも瑚さんと会話がしたくて、彼女の向かって話しかけてみたり、ぼくの本体と彼女のあいだに割り込んでみたりしたが、本体のぼくが幽体のぼくの姿を気づかなかったように、瑚さんにもぼくの姿はみえないし、声も届かないようだった。 やがてぼくとの世間話を終えた瑚さんは、自宅の方に向かって歩いていった。おそらく一度家に戻ってからアンキモに行くのだろう。 お姉さんが去った後も、本体のぼくは、ぼーっとしながら後ろ姿を目で追っていた。 あーあ。ぼくったらあんなに顔を真っ赤にしちゃって。でもその気持ちはわかる。なんたって自分同士だからな。 そんなぼくを見ていると、胸の奥から嫉妬の気持ちがわいてきた。 本体のぼくはお姉さんと楽しい会話をしたと言うのに、このぼくはお姉さんに無視された上に、ひとことも話すことができなかった。 どちらも同じ自分同士なのに、不公平だ。 予定が変わった。体にもどるのは後回しだ。せっかくお姉さんにぼくの姿が見えないのだし、壁だってすりぬけられるのだから、瑚さんの後を付けて、そのあと彼女の部屋をのぞき見しよう。 ぼくの体に戻ることはいつでもできる。いまは、せっかく手に入れた幽体の体を利用しよう。この体ならば、こっそりお姉さんの後を付けることもできるはずだ。 そう思い立ったぼくは、お姉さんのあとを追いかけた。あいかわらず幽体の体は速度が遅く、お姉さんの姿を見失うこともあったが、目的地がわかってるので、すぐに見つけ出すことができた。瑚さんは先ほどの会話通り、まっすぐに自分の家に向かっていた。 お姉さんは、ぼくのうちのとなりに建っているアパートに住んでいる。お姉さんは階段を上がると、二階の自分の部屋に入っていった。 『おじゃましまーす』 ぼくもお姉さんに続いて部屋に入る。ここがお姉さんの部屋か。初めて入るお姉さんの部屋にどきどきする。 『えへへ。お姉さんの部屋だー。勝手に見ていいのかな?』 部屋を飛び回ってあちこち見ていると、お姉さんがとつぜんつぶやいた。 「はー。疲れた。シャワーでも浴びたいな」 ぼくはおどろいて振り返った。 シャワーということは、服を脱ぐのだ。裸になるのだ。姉さんの裸を見られるのだ。それもぼくの目の前で。そうしたらどうしよう。見たいけれど、お姉さんに悪い気もするし。でも、やっぱり見たいし。 そんな葛藤をしていると、瑚さんは「でも、すぐにアンキモにいかなくちゃならないし。我慢しよ」と言った。 なんだ。ほっとしたような。ざんねんなような。 複雑な気分だったが、気を取り直してふたたび、お姉さんの部屋を楽しむことにした。 ベッドの上に寝そべってみる。正確には、触れることができないのでベッドの上で、うつ伏せに浮くだけだけど。 『ここでお姉さんが毎日寝ているのかー。えへへー。お姉さんのベッドー。 ふふーん♪ ふーん♪』 おもわず、鼻歌が出てしまう。 お姉さんのベッドで寝ることができるなんて、なんて幸せなんだろう! その時だった。 「あー。疲れたー。このあとバイトだと思うと憂鬱だけど、やっぱりいかなくっちゃね。 でも、ちょっとだけ、休んでいこうかな」 そう言って、お姉さんがベッドに倒れ込んできたのだ。 お姉さんのベッドの上で寝そべっていたぼくが気が付いたときには、お姉さんがぼくの体の上まで来ていた。 『ふふーん♪ ふん!? ええっ!? 瑚さん! 待って待って! ちょっと――』 ぼくが言い終わる前に、お姉さんがぼくの体に覆い被さり、同時に目の前が真っ暗になった。 そして、ぼくは気を失った……。 (「第3話」につづく) |