そなたに聞きたき事ぞある! 六


『ねえ起きて・・・』

「うう〜ん、まだ眠いよ」

『だめよ。おきてぇ〜』

甘い彼女の声が俺の耳をくすぐった。俺は横になったまま彼女の胸を掴んだ。

『いや〜ん、いた〜〜い』

「まだ起こすんだったらこうするぞ」

俺は、彼女の柔らかい胸を鷲掴みにして、握り締めた。

『いた〜い!いたいってば。痛いって言ってるだろうが、このボケが!!

激しい衝撃が俺の頭を襲った。俺は飛び起きて彼女を見た。そこにはあのきれいな彼女の顔が、がたがたのローラーでつぶされ、古びてボロボロになったトンボで整地したコートのように、見るも無残になっていた。

「どうしたんだよ、マイハニー。君の美しい顔が、見るも無残に・・・」

「で、悪かったな。このボケが!!

また激しい衝撃を頭に受けて、僕は彼女の顔をよく見た。

「あれ?櫻田警部補。あの・・彼女は?」

「彼女はじゃない!お前が10時になったら起こしてくれというから、起こしてやれば人の急所を寝ぼけて握り潰そうとしやがって!もう二度と起こしてなんかやるものか!!」

顔は鬼瓦よりも怖ろしいが、温和で親切な櫻田警部補が、頭から湯気を出して怒りながら捜査課の部屋を出て行った。夢の中では強気の僕も、現実世界ではこんなものだった。

「やべ、警部補を怒らせてしまった。あとで、鈴屋のみつあめでも買って謝らなくちゃ」

顔に似合わず下戸で甘党の警部補のご機嫌を取り戻すことを考えながら、僕は起きだした。

僕の名は等々力桂馬。ここ京都府警嵐山東署の刑事だ。最近、桂川に架かる渡月橋に現れるという怪人物を捕縛する為に、ここ数週間張り込みをしていたが、いまだ遭遇してはいなかった。そして、今日も張り込みに行く為に捜査課のソファーで仮眠を取っていたのだが、当直の櫻田警部補に起こしてくれるように頼んでいたのを忘れていて、寝ぼけて怒らせてしまった。

僕は、まだぼんやりとする頭を軽く叩きながら、自分の机のイスにかけていた上着を着込んだとき、隣の机の上に一本のドリンクが置いてあるのに気がついた。

「お、ドリンクか。眠気覚ましに頂いていくか。佐島、遠慮なく頂きます」

僕はそう心の中で呟くと、ドリンクのビンを手に取って、ラベルを見た。

「新・グラモント?変な名前。ま、いいか」

キャップを開け、グイッとひと飲みに、飲み干そうとして手を止めた。僕は、イスにかけていた上着と、部屋のロッカーに掛けていたコートを羽織ると、コートのポケットにそのドリンクのビンを突っ込んで捜査課を出て行った。まだご機嫌が直らない櫻田警部補に出かけることを告げると、署を出た。夜風がちょっと寒かった。夜風に身体を震わせながら大通りに出ると、空車のタクシーを止め、そそくさと乗り込むと行き先を告げた。タクシーはドアを閉め、夜の桂川へと静かに走り出した。

渡月橋に着くとあたりには人影はなく、昼間はにぎわっているおみやげ店街も、明かりが消え、静かだった。この時間になると人通りもないので、ライトアップ用の明かりも消えて、渡月橋は闇に包まれていた。僕は、乗ってきたタクシーに料金を払い、領収書をもらうと、後三時間後にまた来てくれるように頼んだ。この時間ではタクシーはこのあたりを走っていないからだ。ドライバーはしぶしぶ了解するとこの場を去っていった。

「こんなところに本当に出るのかなぁ」

僕は月明りに浮かんだ橋を見つめながら噂を思い出していた。

その噂というのは、夜中にこの橋に強盗が現れ、通りすがりに人を呼び止めては、ある物をもとめるというのだ。その求めるものとは、金銭などではなくてドリンク。それもまだ封を開けていないものを求めてくるという。持ってないというと、怒ってかかと落としをお見舞いするという。乱暴なものだった。面白がって来る者もいて、奪われたドリンクは九百九十九本になっていた。後一本で千本。これでは場所が京都だけに弁慶の千本刀になってしまう。僕はそれを阻止する為に、ここにやって来たのだった。僕は、身体を丸めながら噂の怪人物が現れるのを待った。川面を伝う風は、僕の頬を切り裂くかのように痛いほどに冷たかった。

「はやくでてくれよ〜〜」

僕があまりの寒さにくじけそうになっていると、嵐山の方からこちらに向かってくる人影があった。

「あれか?」

僕は身構えた。月明りに照らし出されたその人影が、ハッキリしだした時、僕は思わず気を許してしまった。その人影は、まだ幼さを残したマンガの「あずみ」の時の上戸○の少女忍者スタイルをした美少女だった。猫の目のような少し釣りあがった目尻は、その少女の意志の強さを現しているようだった。よく見ると彼女は、上戸○に似ていた。彼女は僕の前に来ると怒鳴るように言った。

「ドリンクは持ってるか?」

僕は驚きと共に確信した。彼女が犯人だ。でも、何でこんな子が?「ああ、持っているよ。これだ!」

僕は、眠気が着たら飲もうと、署では飲まずにいたドリンクのビンをコートのポケットから取り出すと、ドリンクを掴んだ手を高く差し上げた。

「そ、それをよこせ!」

「いやだ!こうしてやる」

僕は差し上げていた手を下ろすと、ドリンクの蓋を開けて一気に飲んだ。口の中でうすく甘酸っぱい味が広がった。

「うま〜〜い」

「な、なんてことを・・・もうドリンクは持っていないのか」

「ああ、この一本だけさ」

僕は少女を挑発するように言った。

「コイツぅ大事なドリンクを飲みやがって・・・こうしてやる!」

そういうと少女は、右足を上げ、左足を軸にして回転した。僕は左肘で、その回し蹴りをうけた・・・つもりだったが、跳ね飛ばされて、橋の上に転がってしまった。

「いて〜〜」

骨が折れたかと思うぐらいに痛む左肘をさする僕に容赦ない攻撃が続いた。僕はそれをかわすのが精一杯で、四つんばいになったままで橋の上を逃げ回った。彼女はトンボを切り、ジャンプをしながら、眼にもとまらない突きを出して橋に穴を空けた。ぼこぼこになる橋の上を僕は四つんばいのままで逃げ回った。ひらりひらりと飛び回り、突きを出してくる彼女はまるで弁慶をあしらう牛若丸のようだった。本来なら、僕が牛若丸の役どころなのだが、四つんばいで逃げ回っていてはそうも言ってられない。

「も、もうやめてくれよ。もうドリンクはないんだからさぁ〜」

僕は思わずそう叫んだ。だが、その一言が彼女の怒りに油を注いでしまった。

「何で飲んでしまったんだ!あれは、オレが捜し求めていたものかもしれなかったのに。お前なんかに必死の思いで手に入れた九百九十九本がすべてハズレだった者の思いがわかるか!!

彼女の攻撃はより一層激しくなり、橋のあちらこちらに穴が開いた。ゴキブリのように逃げ回る僕への攻撃はおさまるどころか。さらに激しさを増していった。

「や、や、やめろ!この橋を壊すつもりか」

だが、僕の悲壮な叫びは少女には届かなかった。

「ボ、僕は警官だ。これ以上の破壊行動は・・・」

「お前なんかにわかるか!このオレの悔しさ、虚しさ、悲しさが!!」

彼女は泣き叫びながら攻撃を続けた。絶え間なく続く攻撃の為に、僕は上着のポケットの携帯を取り出して、助けを求める事さえ出来なかった。

「たすけてくれ〜」

僕が情けない声をあげて助けを求めた時、うすい甘酸っぱい味が僕の口の中で広がり、心臓がドキンと鼓動した。

「え?」

一瞬僕の動きが止まった。そして、また胸が鳴った。

「ドキン」

そして、今度は身体の中から熱いものがこみ上げてきて、身体がきしむように痛み出した。

「うわぁ〜〜」

僕は、両腕で身体を強く抱きしめた。少女は僕の異変に攻撃をやめ、その場に立ち竦んだ。

「ドクンドクンドクン」

心臓が激しく鼓動をはじめ、痛みはさらに激しくなっていった。僕はその痛みの耐えられず、橋の上を転げまわった。

「誰かここにあったドリンク知らんか?」

府警本部での会議で署への帰りが今になった捜査主任の米沢警部は、佐島刑事の机の前で叫んだ。本日、捜査課の当直担当の佐伯刑事は、警部の問いに不思議そうな顔をして答えた。

「自分が夜食を作って戻ってきた時には、もうなかったですよ」

「それは、何時ごろだ」

「十時少し前ですか」

「そのころこの部屋には誰もいなかったのか?」

「いえ、たしか・・等々力が、そこのソファーで寝ていましたけど」

「等々力が?いないじゃないか」

部屋の隅に置かれた誰もいないソファーを指差して警部は怒鳴った。

「等々力はどこに行った!」

「さあ、家に帰ったのでは?」

「呼び出せ!あれを飲んだら大変な事になるんだ。いそげ〜〜」

「は、はい」

米沢警部のあまりの剣幕に、佐伯刑事はお尻の携帯用ポーチから自分の携帯を取り出すと等々力刑事にかけたが、呼び出し音がなるばかりで繋がらなかった。

「だめです。でません」

「出ないじゃない。出るまでかけ続けろ。あれを飲んだら大変な事になるんだ」
米沢警部の顔から音をたてて血の気が引いていった。

「うわぁ〜〜」

痛みで橋の上を転げまわっている時に、胸のポケットの携帯の呼び出しミュージックが鳴り出した。だが、僕はただ転げまわる事以外は何も出来なかった。

「バキボキボキ」

身体が内側から引っ張られるような感じがした。特に肩やウエスト、それに股間でその感触は強かった。それとは逆に、お尻は外に引っ張られた。胸はもぞもぞと膨れ上がり、身体を抱きしめている両腕が押されて、外れそうになってきた。

「いや〜、何で?身体がおかしいよ〜〜」

とどまる事のない身体中の痛みに僕は気を失っていった。

「今回も違ったか・・・」

失神の闇の中に落ちていく意識の中で、少女の言った呟きを聞きながら、僕は気を失った。

「・・ろき。・・どろき」

遠くの方から僕を呼ぶ声に、僕は目を覚ました。

「う、う〜〜ん」

僕が目を開けるとそこには米沢警部の心配そうに僕を見つめる顔があった。

「等々力だよな?」

「え?は、はい。等々力です。警部」

僕は身体を起こそうとした。だが、米沢警部に止められた。

「起きなくていい。寝てろ」

僕はそのまま横になっている事にした。

「等々力。深呼吸しろ」

「はあ?」

「いいから、深呼吸しろ。これは命令だ!」

「は、はい」

僕は言われるままに深呼吸をした。まだ体調がおかしいのか、胸が重く、深呼吸するのも辛かった。それでも数回深呼吸すると米沢警部は優しく言った。

「よし、等々力。落ち着いたか」

「は、はい」

僕は別に慌ててはいなかったが、警部の問いにそう答えた。

「よろしい。等々力、これから俺が言う事を良く聞けよ。お前は佐島の机の上にあったドリンクを飲んだな?」

「は、すみません。あれはあとで買って返します。渡月橋に出るというドリンク強盗を捕まえる餌にしようと思って借りたもので・・・」

「それはいいから。飲んだのだな」

「はい・・・」

僕はイタズラを見つけられた子供のようにシュンとなった。

「そうか、やはり飲んだのか」

警部は哀れむような表情をした。

「米沢警部」

「等々力よ、気をしっかり持てよ。どんなになってもお前は俺の部下なんだからな」

「は、はい」

僕は警部のいう意味が理解出来なかったが、ただ反射的に頷いてしまった。

「お前が飲んだドリンクはなぁ。ある事件の証拠品だったんだ」

「証拠品?す、すみません。そうとは知らずに持ち出してしまいました」

「いや、分析に回したとしても、人体への影響から事件の立証が難しかったのだけど、お前のおかげで立証できるようになったんだ」

「では、自分は死ぬんですか?」

「死にはしないが・・・どっちがよかったのかなぁ?」

曖昧な米沢警部の言葉に僕は不安になってきた。

「どうなるんです?」

「お前はK大で起こった事件を知っているか?」

K大ですか?噂では・・・なんでも同僚が結婚するのを阻止する為に、その同僚を異性へ変身させようとしたって・・・そんな馬鹿なことがあるわけないですよね」

「あの事件で、物的証拠としてドリンクが二本見つかった。だが、分析の結果、そのドリンクの効果は人体にしか効果がないことがわかった」

「け、警部。そんな事より僕のからだは・・」

「人体では容易に実験することは出来ない。それとどんな変化をするかがわからなかったからだ。犯人は、事件が発覚するとドリンクの研究資料をすべて破棄し、自分は別人と成って、研究記憶も失ってしまった。別人になってしまっては、容疑者の特定も困難だ」

「だから、わたしはいったい・・・」

「等々力。目をつぶれ」

「けいぶぅ〜〜」

「目をつぶれ!」

警部は僕の質問を無視して、眼を閉じるように言うだけだった。こうなったら頑固な警部の事だ。何も教えてはくれないだろう。僕は目をつぶった。

「深呼吸をしろ」

僕は言われるとおりに深呼吸をした。

「ゆっくりと目を開けろ」

言われるままに僕は目を開けた。目の前には金髪の美女の顔が・・・どことなくアメリカの映画女優のメグ・ライアンに似たちょっとおしゃまな感じがする顔立ちだった。でも、なぜ、金髪美人が僕の顔を覗き込んでいるのか、僕にはわからなかった。

「あの〜」

僕が彼女に聞こうとすると、彼女もボクに話しかけて来た。気があるのかな?なんてちょっと心の中で期待した。

「あの~アナタはどなたですか?」

そう聞くと、彼女も口を動かした。それは僕と同じことを聞いてきていた。と、僕はある事に気がついた。彼女は僕と向かい合って、僕の顔を覗き込んでいるのだ。つまり、彼女は僕が横たわるベッドの上に乗っている事になる。普通顔を覗き込む時は横から覗き込むのに、彼女はなぜこんな変なやり方をしているのだろう。いや、その前に、彼女の声が聞こえるのに、なぜか僕の声は聞こえなかった。

「どうだ。理解できたか」

米沢警部はそう僕に聞いてきたが、僕にはなにがなんだかわからなかった。

「まだ理解できないのか。仕方がない・・・」

警部がそういうと、彼女の顔が僕の目の前からスーッと消えた。そして、また彼女の顔が現れた。

「わかったか」

僕はそのことが信じられなかった。彼女の顔が消えたわけは・・・彼女の顔は警部が僕の顔の前にかざしていた鏡に写っていたからだった。鏡に写った彼女の顔。鏡に写らない僕の顔。なぜか頭の中に響いて聞こえる彼女の声。聞こえない僕の声。それらの事が一つの答えを僕の前に導き出した。それは・・・

「え〜〜!?」

僕は勢いよく起き上がった。と、反動がついたのか、そのまま前に倒れこんでしまった。だが、顔を足にぶつける事はなかった。それはいつの間にか、上半身と下半身の間にクッションがあったからだ・・・クッション?そんなものがあるはずが・・・ええ〜〜!?

「なんじゃこりゃ〜〜」

いつの間にか僕の胸ははれ上がりそれはまるで・・・

「お、お、おっぱい?それも爆乳が僕の胸に」

バスト九十センチはあろうかという爆乳が僕の胸にあった。それは片手で何とか持ち上がるほどの重さがあった。

「なんでこんなものが僕の胸にあるんだ。まさか、あそこは・・な、な、ない!!」

何とか下半身に伸ばした手には、慣れ親しんだあの感触が感じられなかった。

「お前は女性になってしまったんだ。それも白人のだ。お前が飲んだドリンクは、飲んだ者のDNAを別のものに書き換える効果があったんだ。こんな風に変わるとは思っていなかったがな」

「け、け、警部。元に戻してくださいよ」

「それが・・無理なんだ。研究資料は消去され、残っていた最後のドリンクはお前が飲んでしまったからなぁ。お前を元に戻すための物を作るための研究材料が残ってないんだ」

「でも、二本見つかったって、仰ったじゃないですか」

「そいつは、容疑者の調書を取っている時に、容疑者がしらばっくれるので、担当刑事が奴の前に証拠として突きつけたときに、容疑者が飲んでしまって・・残ってないんだ」

「そ、そ、そんなぁ〜〜」

「安心しろ。お前に変化の様子を録画して、それを証拠品として採用してもらえるように手配しておいたから。お前の行動は無駄にはならなかったぞ」

「それよりも僕を元に・・・」

「あと三っ日程でお前は完全に女性になってしまうそうだ。お前の両親にこのことを連絡したら喜んでおられたぞ。男ばかり四人の子供だったので娘が出来てうれしいって。それに、金髪の女性にお父さんと呼ばれるのが夢だったそうじゃないか。お父さん、楽しみにしているそうだ」

「そんなぁ・・・」

自分の爆乳にうずめた瞳からは、涙が止まる事無く流れ続けた。

「そんなバカなぁ〜〜」

「今回も違ったか。女が男に成ったと聞いたから、今度こそはと思ったのだが。オレがあれを飲んだらどうなっていたんだろう?」

等々力刑事と渡月橋で闘った(?)少女はそう呟きながら新幹線へと乗り込んだ。ただ彼女がどこに行くつもりなのか知らないが、それが回送車である事に彼女が気づいている様子はなかった。彼女以外のいない新幹線は、何処かへと走り去った。間違いに気づき必死になってドアの窓を叩く上○彩に似た少女を乗せて・・・


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