爺の幸せな日々
 

「だめです!お嬢様。お体にさわりますから。」

「だっていっつも私だけ置いてきぼりだもんっ!」

「あきらめてくださいませ。お嬢様は外には出られない体なんです。  どうか爺を困らせないでください。」

「そんな事言ったって、私は外にでたいのっ!」

「そう言わずにお願いします。」

「もうっ!爺なんて大嫌いっ!」

「そんな・・お、お嬢様・・・とほほほ・・・」
 
 

ここは数万人の従業員を束ねる社長、多田慶治邸。
爺に無理を言っているのは多田社長の愛娘である明日香、17才になったばかり。
明日香は生まれつき体が弱く、外に出ることは許されなかった。
小さいころから専属の教師に勉強を教わり、室内ジムで毎週二日、リハビリを行う。
好きなものを買ってもらい、毎日贅沢な食事を取っている明日香だが、
仕事でほとんど家に戻らない両親からの愛情は乏しかった。
そんな事情もあって、明日香の性格は多少ひねくれている。明日香のおもりを
任されている爺は、老骨に鞭を打ちながら残り少ない人生を送っているのだ。
 

「爺っ、お腹すいたわ。ケーキ頂戴!」

「はい、今もって参ります。お嬢様。」

「ねえ、新しい服がほしいわ。センスのいい服を選んで10着ほど買ってきて。」

「はい、かしこまりました。お嬢様。」

爺は、明日香のわがままに、何も言わずに対応する。まわりの召使いやメイドは、そんな爺の
けなげな姿を哀れに思い、

「そろそろ爺も疲れただろ。もう辞めてもいい年じゃないか。」

とか、

「そんなにヘコヘコすることないんじゃないの。あんなわがまま娘に。」

などと、やさしい言葉をかける。
しかし、爺は、

「いやいや、かわいいものですぞ。明日香お嬢様におつかえして17年。
  わしはお嬢様のことが好きなんじゃ。だからどんなにわがままを言われようが
  ぜんぜん平気なんじゃよ。」

と、いつも自分の子供のように愛(いと)しそうに話すのだ。

しかし、そんな爺も明日香の口から初めて

「爺なんて大嫌いっ!」

と言う言葉を聞いたときから、どうも元気がなくなってしまったのだ。

「わしはお嬢様に嫌われいるのかのう・・・」

豪邸の屋上で、生い茂った木がきれいに植わっている大きな庭を見つめながら、爺は物思いにふけっていた。

「はぁ・・・」

何度もため息をついている。そこに一人の若い召使いが近寄ってきた。
召使いは、爺の横に並んで庭を見ながら、

「なあ、爺さんよ。もうそろそろ辞めちまいなよ。あんなわがまま娘のお守なんかしなくったって
  生きていけるだけの金あるんだろ。」

「金の問題じゃないんじゃよ。この豪邸に勤め初めて早30年。ここはわしの家同然なんじゃ。
  いまさら辞めても、帰る所なぞないんじゃ。」

「爺さん、あんたの奥さんはどうしたんだよ。」

「ああ、家内はとっくにあの世に行ってしまった・・・よくわしに尽くしてくれたもんじゃ。」

「そ、そうか。悪いこと聞いちまったな。」

「いいんじゃよ、別に。」

「しかしさあ、爺さん見てるとほんとに気の毒に思うぜ。あの小娘をなんとか懲らしめてやる方法は
  ないもんかなあ。」

「いいや、お嬢様はだんな様と奥様が家にいないのでさびしいんじゃよ。だから、わしにあたって
  気を紛らせているんじゃ。わしはお嬢様の気持ちが少しでも安らぐのならそれでいいんじゃ。」

「爺さんはほんと、やさしいなあ。俺だったら絶対辞めてるけどな。」

「ほっほっほっ、おまえさんはまだ若い。もう少し歳を取れば分かるようになるわい。」

「そんなもんかな。」

「そんなもんじゃよ。」

そう言うと、爺はゆっくりと歩き出した。そしてドアの向こうに消えた。

「爺さんの後姿、悲しそうだったな。でもあの娘が相手じゃなあ・・・よし!ここは俺が一肌脱いでやるか!」

召使いはそうつぶやいた後、爺と同じくドアの向こうに消えたのだった。

赤い夕日が沈むころ、多田邸では夕食が始まろうとしていた。
爺は、明日香を呼びに部屋の前までやってきた。
ドアを3回ノックする。

「お嬢様、明日香お嬢様。夕食の準備が整いましたのでご連絡にきました。
  冷めないうちに降りてきてくださいませ。」

「分かってるわよ。すぐに行くから先に行っててちょうだ・・・あっ!」

明日香が話を途中で止めてしまった。そして、

ドサッ!

と倒れる音が爺の耳に聞こえた。

「お嬢様、明日香お嬢様!」

爺はドアを何度もノックして大声で叫んだ。

「んっ・・・だ、大丈夫よ、爺。つまづいて転んだだけだから。」

部屋の中から明日香の声がした。爺はほっとして、

「そ、そうですか。お体には十分気をつけてくださいまし。爺は先に下りております。」

爺が降りてから5分ほどして、明日香が広間に下りてきた。
胸の部分が大きく開いた黄色いドレスを着て、髪の毛をきれいに束ねている。
普段はぜんぜんしない化粧をした明日香は、大人びた雰囲気が漂っていた。

「おまたせ、爺。食べましょうか。」

明日香は椅子を引いて待っている爺に向かって、笑顔でそう言った。

「は、はい、お嬢様・・・」

爺は、明日香の大人びたドレス姿と、いつもとは違うその話し方に戸惑いを隠しきれなかった。

「お嬢様、今日はなんとなくいつもと違う雰囲気ですな。もしや、どこかお体の具合が悪いのではありませんか?」

「あっ、さっき転んだから足がすこし痛いだけ。ほかは痛くないわよ。
  それより爺も早く座りなさいよ。スープが冷めてしまうわ。」

「いえ、私は後でいただきますので、どうか暖かいうちにお召し上がりください。」

「いいじゃない、いつも冷めたご飯を食べているんでしょ。今日は私と一緒にあたたかいご飯を食べましょ!」

「お嬢様・・・」

爺の目頭が熱くなる。明日香がだんだんとぼやけて見えなくなり、大粒の涙が頬に零れ落ちた。
これまで明日香から、こんなにやさしい言葉をかけてもらったことはなかったのだ。
後から後から涙が零れる。

「爺ったら、どうして泣いてるの?ご飯冷めちゃうわよ。早くそこに座って。」

「ううっ・・・す、すみません、お嬢様・・・・ありがとうございます・・・」

爺は顔をくしゃくしゃにしながら、明日香の前に座った。
メイドたちも明日香の行動にビックリしていたが、爺のうれしそうな顔を見て思わず
顔がほころんでいだ。

「このスープ、おいしいね。」
「はい、お嬢様。」

メイドたちにより、次々に料理が運ばれてくる。

「ねえ、爺。このお肉、とっても柔らかいよ。爺の歯でも噛めるわ、ふふっ」
「もぐもぐもぐ・・・ほんとですな。これは柔らかくておいしい。
  このサラダもおいしいですな。」

「どれどれ・・・あむあむあむ。ほんとっ!おいしいわね。このサラダ。」

・・・二人は夕食を取りながらこれまでにない楽しい時を過ごした。
特に爺は、目を輝かせながら明日香のかわいい笑顔を見ていた。
料理の味なんてどうでも良かった。ただ、明日香とこんなに楽しい時間をすごせるだけで・・・
今の爺はとても幸せだった。

最後のワインを飲み終わった二人は、

「おいしかったわね。今日の料理。」
「そうですな。お嬢様。」
「ねえ爺、後で私の部屋に来てくれない?」
「お嬢様の部屋にですか?」
「ええ、少しお話したいの。」
「分かりました。後ほどお伺いいたします。」

話し終えた明日香は、席を立ち自分の部屋に戻っていった。
爺は満足げな笑顔でメイドに皿を片付けるよう言いつけた。

「今日のお嬢様、どうされたんでしょうね。いつものお嬢様からは考えられないです。」
「そうじゃな、わしも夢を見ているようじゃ。お嬢様があんなにやさしく接してくれるとは。
  人生で最良の日じゃわい。」

「そんな、大げさな。」

「いいや、わしゃ、もう死んでもいいともっとる。」

「縁起でもないこと言わないでくださいよ。」

「ああ、そうじゃな。まだまだお嬢様におつかえしないと。」

爺はそう言うと、明日香の部屋に向かった。
ドアを3回ノックする。

「お嬢様、爺が参りました。」
「あっ、鍵開いてるから入って来て!」
「かしこまりました。」

爺は、ガチャッとドアのノブを回し、明日香の部屋に入った。
15畳ほどあるその部屋は、パステル調の壁紙にふかふかの絨毯が敷かれており、
たくさんの熊のぬいぐるみが飾られている。
明日香はシルクで編まれた白い上下のパジャマを着ていた。

「そこに座って。」

明日香に言われて、爺は小さなテーブルにある椅子に腰掛けた。

「お嬢様、お話というのはどんなことでしょうか。」

明日香も同じく、テーブル越しの椅子に腰掛けた。

「あのね、私いつも爺にひどいこと言ってたでしょ。だから謝ろうと思って。
 いままでひどいこと言って、ごめんなさい。」

明日香は、爺に向かってペコリと頭を下げた。

「め、めっそうもございません、お嬢様。私はぜんぜん気にしておりませんし、
  ひどいことを言われたなんて思っていませんぞ。」

「ううん、私ったら爺の気持ちなんかぜんぜん考えてなかったし、わがまま
  ばかリ言ってたから。」

「お嬢様。私はお嬢様と一緒に過ごせるだけで満足なのです。
  どうか、今までどおり何なりとお言いつけくださいまし。」

「爺はやさしいのね。またわがまま言うかもしれないけど、そのときはごめんなさいね。」

「いつでも言ってくだされ。ちょっとやそっとじゃ、へこたれませんぞ!」

二人は笑いながら楽しそうに、遅くまで会話を続けた。

「ふぁぁ・・・私、眠たくなってきたわ。そろそろ寝ましょうか。」

「おお、もうこんな時間ですか。爺はこの家にお仕えして本当に幸せですぞ。
  お嬢様、今日はありがとうございました。」

「いいえ、私も楽しかったわ。またゆっくりお話しましょ。」

「はい、お嬢様。それではお休みなさいませ。」

「ええ、おやすみなさい・・・」

爺は、明日香がベッドに横になったことを確認して、部屋の電気を消した。
そして、音を立てないようにそっと部屋を出た。

「すっかり遅くなってしまったわい。」

つぶやきながら、寝室に向かおうとしたとき、さっき屋上で話した召使いが前から歩いてきた。

「おっ、爺さん。えらく顔色いいじゃないか。なんかいいことあったのか?」

「おお、おまえさんは確か屋上で合った召使いじゃな。今日はお嬢様のご機嫌がとても
  よくてな。」

「へー、そうかい。そりゃ良かったな。またいじめられてたんじゃないかと思ったぜ。」

「いやいや、とんでもない。わしに謝ってくれたんじゃよ。いままでわがまま言ってごめんなさいと。」

「良かったじゃないか爺さん。今日はゆっくり寝れるんじゃないか。」

「そうじゃな、久しぶりにゆっくり寝れそうじゃわい。」

「そっか、それじゃあな。」

「ああ、おまえさんも早く寝たほうがいいぞ。」

召使いは歩きながら片手を上げて答えた。
爺は寝室の前でドアをあけて中に入った。そしてベッドに横たわり、深い眠りについた・・・
 

「よかったな、爺さん。たまにはやさしい言葉の一つくらいかけられたって罰はあたらないぜ。」

歩きながら召使いはそうつぶやいた。

「またお嬢さんといい思いさせてやるからな。頑張れよ、爺さん・・・」

・・・・・

その後、明日香は何日かに一度、爺さんにやさしい声をかけた。
爺さんは、たまにやさしくなる明日香に心を癒されながら、半年後にこの世を去った。
死ぬ間際にも、

「お・・・嬢様・・・ありがとう・・・ございました・・・」

そう言い残した。
その場にいた明日香の目からは涙が溢れ、爺の手をいつまでも握り締めていた。

「ううっ・・・じい・・・・ごめんなさい・・・・」

明日香の本心だった。自分のわがままを、文句一つ言わずに受け止めてくれた爺の大きさな存在を
初めて認識した・・・

「爺さんよ、あんたのおかげでお嬢さん、だいぶ変わったぜ。」

爺が死んで1ヶ月。屋上でタバコを吸いながら、召使いはそうつぶやいた。
爺が死んでから、しばらく元気のなかった明日香だが、最近ようやく元気を取り戻した。
それに、以前のわがままもなくなり、誰とでも素直に話し、笑えるようになっていた。

「ちょっと!何サボってるのっ」

召使いの後ろから明日香が歩いてきた。

「い、いや。ちょっと休憩を。」

「いつもここで休憩してるでしょ。私知ってるんだから。」

「うっ、い、いつの間に見てたんですか。」

「ふふっ、いつの間にって?半年前にもここで話をしたじゃろ!召使い君。」

「えっ?!」
 
 

・・・おわり
 
 
 
 

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