火曜日6月2日 イライラの原因(その1)


 明けて翌日。凛太郎はいつにも増してイライラしながら修一を待っていた。
(今日は絶対修ちゃんに僕の事聞く!)
 何か無意味な程に決意を固めていた。凛太郎にとって修一という存在は、自分の存在意義と同義になりつつある。修一が凛太郎を凛太郎として扱っているなら、一番いい答えとなる筈だ。しかし昨晩の魔物の言う通り修一自身が凛太郎を欲していないとなれば、凛太郎の想いは砕けてしまうだろう。凛太郎自身もそれは理解していた。ただ、体調のせいかいつもと違って、問いただすという行為に躊躇は無かった。
 無かったのだけれど、5分も門の前で修一を待っていると段々と気分が沈んでくる。昨日の晩から気分の浮き沈みが異様に激しい凛太郎だった。
「おはようさん、待ったか?」
 修一がいつもと変わらない調子で声を掛ける。その笑顔も昨日の作業棟での出来事を考えると凛太郎の心を掻き毟った。
(……なんでそんなに清々しい表情してんだよ。もう、いつもいつも悩んでるのって僕だけなんじゃないの?)
 むーっとした表情で上目遣いで修一を睨む目に、いつもと違う雰囲気を漂わせている事に修一も気付いた。
「あ、っと、リンタ、まだ怒ってるか? 悪かったって。もうしないからさ、リンタの意見なしに」
 意見なしに、だけかなり小声で言う。流石に修一も二度としないなどとは言えない。凛太郎とそういう事をしたいと言う気持ちは日一日と高まっているのだし、凛太郎の身体に触れて一層大きくなっていたから。
 凛太郎はゆっくりと修一に近づいた。手を伸ばせば直ぐに抱きつけるくらい近くに真正面から。その顔は紅潮して、少し怒っているような、それでいて悲しいような複雑な表情を見せながら口を開いた。
「修ちゃん、あのね、えーっとね、ぼ、僕の事どう思ってる?」
「好きだよ」
 今更それがどうした? という修一の即答に凛太郎は真っ赤になってしまう。この手の免疫は全く無かったし大体修一の性格ならこの質問に対する答えはこうだ。
「あ、ぅ、そう。……そうじゃなくて、それって修ちゃんが思ってるの? 誰かに言われたとかじゃないの?」
 眉根を寄せて不思議そうな顔をしている修一だったけれど、次も即答だった。この点では男らしいと言える、のかも知れない。直ぐにエッチに走りたがるのも男と言えば男だったが。
「俺がリンタ好きなんだぞ? 誰に言われてもねーけど」
「……嘘だ」
「え? 嘘ってなにが?」
 突然の凛太郎の言い様に修一が戸惑いを隠せず鸚鵡返しに聞いてしまう。
「修ちゃんあいつに言われたから、僕の……身体欲しいから好きなだけなんだっ、えっちしたいからっ」
 朝から何でこんな話をしてるんだろう、と思いつつも、感情が制御できない。その凛太郎の剣幕に圧され修一は困った顔見せている。時々周囲を窺うようにきょろきょろしながら。
「ほんとに悪かったってば、リンタ、ごめん。そんなに怒んなよ。リンタの事好きだし欲しいけど、身体だけじゃないって。誓って違う」
(なんか朝から濃い話ししてんなぁ。何でリンタこんなに突っかかってくんだ?)
 事の重大性については全く考えていない修一には、凛太郎の苛立ちの原因などに思いつかなかった。尤も苛立ちの原因と言えば、凛太郎自身にも要因はあったのだけれど。
「身体だけじゃないって、嘘だっ。やだって言ってもまだって言ってもしてくるじゃんか。魔物に言われたから好きだって言ってるんだ。修ちゃん僕の事練習に使いたいだけなんだっ」
 自虐的な風に言っていると、凛太郎はどんどん自分が惨めになって、涙が溢れてくる。言ってはいけない事と解っていても感情の迸りを止める術が無かった。
「ちょちょっと待てよ。俺の気持ちは俺だけのもんだろ。つーか魔物に言われたってなんだよ」
 凛太郎の涙を見て焦りつつも、修一は凛太郎の両肩を掴み少しきつめに揺すっていた。凛太郎の身体がビクっと反応する。
「……昨日来て、言ってた。修ちゃんのとこ行って、僕の、奪えって言ったって。そしたら、修ちゃん昨日、強引に……」
 ぐすぐすと鼻を啜りながら言う凛太郎の言葉は、途切れ途切れで聞きづらかった。しかしその内容は修一には良く理解出来た。が、修一はその言葉に過敏に反応してしまう。
「お前っ、俺と魔物とどっちの言う事信用してんだよっ」
 グッと凛太郎の身体を近づけ、顔を近づける。修一の興奮した風の表情に凛太郎は少し怯えていた。
「あ、どっちって……」
「俺の事好きなんじゃねーのかよ。俺は好きだって言ったろ! 俺を信用すんのが筋だろ?!」
「だ、だって……」
「あーっ、なんだよっ。女の子のリンタが好きだけど、男に戻っても好きだ、って言えばいいのかよ?」
 次第に怒気を含んでくる修一の態度に、凛太郎は釈然としないながらも慄いてしまった。掴まれている腕も痛い。何よりこんな言い合いを始めてしまった自分の心が痛い。
「ち、ちがっ、僕の事見てほ」
「見てるじゃねーかっ。いつもリンタの事想ってるだろっ。何で信用できねーんだよっ」
「そ、そんなに大声ださないでよっ」
 信じたいけれど、修一の行動がそう見えない凛太郎に、信じて欲しい凛太郎に信じて貰えない焦燥をぶつけてしまう修一。二人は一旦そこで会話を止めた。二人の声に周囲の家の窓が開き何事かと二人を見始めている。
 修一はちらっとその様子に目をやると、凛太郎を掴んだ腕から力を抜いた。凛太郎は肩を抱くように掴まれた部分を両手で摩る。
「信じていいの? 魔物が嘘言ったって」
 凛太郎は修一から一歩下がって問うてみる。もう一度、修一は自分の意思で好きだと言ったのだと確認したかった。今の自分自身を肯定する材料が欲しかった。
 ふーっと溜息を洩らす修一の表情には、先程までの怒りよりも、寧ろ寂しげな色が漂っている。
「何度も言ってるだろ。俺はお前が好きなの。信じてくれよ」
「……信じる、けど。昨日みたいには絶対しないでよ。もう僕あんなのやだから」
 心が晴れる、という訳ではなかったけれど、夕べの魔物の話しだけは払拭出来ていた。ただ凛太郎が修一に当り散らしたような感じになってしまったが。
「解ったって。極力リンタに聞くって」
 真面目な顔の修一に、凛太郎は黙って頷いて下を向いた。と。
「あ! やばいよ、修ちゃんっ。遅刻しちゃうよ! 早く行かないと!」
 まだ赤く充血している目を上げ、突然大きな声で叫びだすと、凛太郎は自分の自転車を引っ張り出し跨る。
(なんだよ、リンタってこんなに喜怒哀楽激しかったか? 扱いづれーなぁ。まぁ、一件落着したからいいか)
 修一は凛太郎の浮き沈みの激しさに少しだけ辟易しながらも、取り敢えず凛太郎の誤解が解けた事に安堵していた。

 ギリギリで遅刻にならず横目で鬼を見つつ登校。昼休み、朝っぱらからの一連の騒動は取り敢えず気持ちの中で整理が付いたと感じていた。ただ変に修一に絡んでしまったと思い少しばかり反省もしている。夕べあたりから身体のだるさや腰の痛みが気分を浮き沈みさせ、苛立ちを増加させ、少しの事で感情のコントロールが難しくなっていた。
 そんな事が解ってきた凛太郎だったから、いつもの事だと言うのにわざわざ修一をお昼に誘っていた。
「あの、修ちゃん、お昼、一緒に食べようよ」
 少しおずおずとしおらしく可愛い顔を覗かせる凛太郎に、修一は頬を緩ませてしまう。
「おお、部室行くか」
 我ながら馬鹿だなと思いつつも、一足飛びで凛太郎の側まで飛んでいってしまっていた。

 * * * * * * * * *

 廊下を通り、第二教室棟から部室棟への渡り廊下を行く。歩きながら修一がいきなりな事を言い出した。
「リンタ、来週は誕生日だよな」
 唐突な話に凛太郎は修一の顔を見上げた。
「? うん。そうだね。やっと十六になるよ」
 女の子の十六歳と言えば、親の承諾があれば結婚出来る年だ。凛太郎自身はそう言う事は全く考えていなかったし、言葉にも含みは無かったが、修一思うところがあったのか、眉がぴくりと動いていた。
「考えてみたらリンタの方が俺よりちょっと年上になんだなぁ」
 考え深げにしみじみと言う。
「そだよ。君、少しは敬いたまえ。僕の言う事はちゃんと聞くのだ」
 ちょっと胸を張り偉そうに見せる凛太郎だったが、その可愛らしい仕種が愛らしいと修一は思ってしまう。じーっと修一が眺めている。
「……とてもそうは見えねーよな」
「なんだよそれ。どうせ子どもっぽいって事でしょ。知ってるよその位」
 むっとした表情で口を尖らせながら、凛太郎が抗議する。
「いや、まぁ、うん、そうかな?」
 少し歯切れ悪く修一が言う。実際には可愛らしいしぐさが気に入って「可愛いな」と言いそうだった所を、照れ隠しで言い直しただけだった。
「ふんっ。……う〜、たた」
「なんだ? どしたよ?」
「うん、昨日からちょっと調子が……」
「いてえのか。あ、お前それで今朝突っかかって来たんだろ。ったく変なもん喰ってしかも年寄りになるから腰痛いんじゃねーか」
「ひどっ。…………少し反省したからちょっとはって思ったけどっ。もう絶っ対させてやんない」
 そう言うとぷいと横を向いてしまった。修一は慌てて訂正する。
「ええっ? いや、そうじゃなくてな……えーと……」
 修一は言葉を探すが中々出てこない。凜太郎は修一の様子を横目で見ながらクスッと笑った。
「いいよ、別に今は気にしてないから。なんかちょっと身体だるい感じ。腰とか、お腹なんだけど」
 今まで経験した事のない鈍痛に、凛太郎は少し顔を顰めながら、腰をとんとんと叩いている。
「なんだよ、冗談かよ……。ん。でも大丈夫か? マッサージしてやろうか? 俺上手いんだぜ」
 修一が何故か両手を広げて指をわしわしと動かしていた。どう考えてもマッサージには見えない。もっと他の事が思い起こされる手つきだった。
(……その手つきはマッサージて言うか、違うと思うんだけど……)
 凜太郎は一拍置いてから答えた。
「その手つきいやらしいよ。もうちょっと考えてよね」
「ん? そうか? ま、飯喰ったらちょっとやってやるよ。楽んなるぞ」
 なんの疚しさもない、という爽やかな顔をして言う修一。その顔をジーっと見つめながら凛太郎が言った。
「身体の前面触るの無し。って事でお願いします」
 久々に愛らしい笑顔を見せる凛太郎に、修一の心臓はずくずくと下半身に血液を送り込んでいた。

 * * * * * * * * *

 部室には珍しく脇田が来ていなかった。二人はいそいそとお弁当を食べ終え、マッサージの段取りを整えていた。
「ん〜、床だと汚れるな。リンタ、机の上乗っちゃえよ」
 修一は部室の床を足で擦っていた。足の動きどおりに埃の上に絵が掛けそうだ。
「でもさ、机の上って怒られない?」
 部室の中をうろうろしながら、凛太郎は時折竹刀を持って素振りの真似事をしながら修一に返答していた。
「竹刀危ないから置いとけって。この時間で部長来てねーし、いいよ。俺が許す。ほれ、早く」
 いつも食事に使っている机だ。ちょっと凛太郎は躊躇したけれど、ほれほれと促す修一と、何より腰の痛みに負けていた。
「うん。じゃぁ、お願いします」
 凛太郎は机にお尻を乗せると、そのまま90度回転した。こうすると机の長い方の一辺が使える。仰向けで寝そべりながら位置を整え、くるりとうつ伏せになった。顔は腕の上に乗せる。
「これでいいかな?」
 ちょっと後ろを振り返り修一の方を見た。修一は赤い顔をしながら腰のあたり、というより丸いお尻を包むスカートとそこからすっと伸びた足、腿の辺りをじっとりと眺めている。
 修一は少し後ろから机の上に上る凛太郎を見て、ドキドキしてしまっていた。昨日の事を考えればなんて事はない筈だったが、プリッと揺れるお尻と白い滑らかな足はその視覚効果も手伝って童貞くんの心を鷲掴みにしていた。スカートと腿の奥の部分、昨日ぐちゃぐちゃに濡れて、自分の指で痙攣させていたところ、そんな事を思うと目が離せなくなってしまった。
(あちゃー、こりゃ強烈だ……。うぅ、なるべく考えないようにしねーと)
「ちょっと修ちゃん! エロい顔して見ないでよ」
 パッと左手の甲でスカートのお尻の部分を押さえ、顔を朱に染めながら、少し呆れた調子で言う。朝アレだけ言ったのに、そんな意識があった。
 急に凛太郎に言われ、修一はどぎまぎしながらも、冷静を装う。
「んっ、わりい。目に入っちゃったからな。イヤらしくは見てねーぞ」
(……いきなりスカート捲くられたりして。っていくらなんでもないか)
 凛太郎は変な想像をしながらも、修一を窘めるような目つきは止めなかった。
「エロい事禁止だかんね。マッサージだよ。変なのじゃないよ」
「はいはい」
 修一も机の上に上る。凛太郎の下半身を自らの両足で挟むように膝立ちで跨る。その眺めは何かセクシャルな思いを募らせるような感じがしていた。
(このまま被さったら俺のが……、丁度当たるよな。アソコに)
 まだ手が凛太郎の手が置かれたお尻の部分。ワレメを先に進めれば当然その部分がある。修一は不埒な考えに身体を熱くしていた。
 すっと凛太郎の手が動く。腰の部分を丸く示していく。
「えっとね、腰と骨盤の間って言うか、この辺の上の方って言うかこの辺なんだけど。…………修ちゃん?」
 ぼーっとしながら妄想状態に入りかけていた修一は、凛太郎の声で現実に引き戻されていた。
「えぁ? あ、そこな、うん、解った。痛いよなその辺だとな」
 適当に答えながら、修一は腰を屈めて凛太郎の腰の上に手を置いた。一瞬凛太郎の身体がぴくんと動く。
「ん、お願い。結構つらいかも……」
 修一はスカートがブラウスを飲み込むウェスト辺りに手をずらす。手を広げ指先は脇腹側にしながら、掌に体重をゆっくり掛けていく。
「ぅんっ」
 体重が掛けられた事で、凛太郎の肺からひゅぅっと空気が漏れた。その空気が声帯を振動させ、少し艶っぽい声が聞かれる。
 二度、三度と押し込むと、その度に凛太郎の唇から喘ぎ声にも似た吐息が漏れていた。
「あっ……。んッ……。んぅ……」
 そんな声を聞いていると、修一も段々変な気分になってしまう。下半身のその部分に集まる血液が増加していくのがはっきり解った。
「リンタ……、あんま変な声だすなよ……」
 修一が正直にそう言うと、凛太郎も解っているのか首の辺りを赤くしながら言い返していた。
「だっ、て、気持ち、いいし、声でちゃう、ってば」
 ウェストの辺りから徐々に手を下げていき、骨盤の左右の腸骨上部を通り越すと臀部の筋肉、大臀筋の着いている部位がある。修一の手がそこに下りてくると、凛太郎が小さく息を吐きながら小声で言った。
「あ、修ちゃん、そこっ。少し下側から、圧してみて。…………あぁっ、んッ気持ちいっ」
 凛太郎の言う通り掌を下側から圧していくと、思いもかけない位の声が発せられていた。その声量と色っぽい声は部室中に響き渡り、二人の耳に届く。
「ご、ごめんっ、あんまり良くって…………」
 殆ど、喘ぎ声だと思えてしまう声に凛太郎は横に向けていた顔を隠すように下を向いて手で口を覆っていた。
 修一はそんな凛太郎の姿を見ながら、そして聞きながら、何も声を掛けようとはしなかった。必死にムラムラしている激情を抑える虚しい努力をしていたから。
(なんて声出してんだよ、ったくこっちの身にもなってくれよ……)
 声に反応してぎちぎちとパンツを持ち上げてくるペニスを持て余しつつ、何とか正気を保っている修一だった。

 * * * * * * * * *

 一組の男女が一路剣道部室を目指していた。女生徒は長いストレートの髪を左右に揺らしながら、食堂で購入したパンとオレンジジュースを持っている。長身できびきび歩く姿は、羨望にも似た眼差しを一身に受けている。傍らには少し焦っているように見える、こちらも長身の男子生徒。
「なぁ宮本。別に部室で喰う事に拘らなくってもいいだろう?」
 大きなお弁当箱を持ちながら、前を歩く女生徒を窺うように声を掛ける。宮本と呼ばれた女生徒はぴたっと廊下で止まると男子生徒をその切れ長の綺麗な目で見据えた。
「崇、あたしとあんたってどういう関係?」
 崇、剣道部部長の脇田崇は、宮本の目に多少びびったように答える。
「剣道部の男子部と女子部の部長、だよな」
「ばかっ!」
 宮本の怒鳴り声に周囲の生徒が振り返った。その様子には興味がないと言わんばかりに、宮本は再び歩き出す。
「なんだよ、違うか?」
 脇田が宮本を追いながら言う。宮本は正面を向きながら、目だけで脇田を見た。
「あたし達って付き合ってると思ってたのは共通認識じゃなかったわけ?」
「まぁ、そうだな」
「じゃぁ、これまで一度くらい一緒にお昼食べるくらいしても良かったと思わない?」
 第二教室棟から部室棟への渡り廊下で、宮本は再び立ち止まり脇田に向かった。
「いや、一人になりたい時ってあるだろう。時間を共有するのもいいけど、別々の時間を過ごすのも大事だと思うぞ。昼はその丁度いい時間だろう」
 はぁ、と大きく息を吐きながら、わかってない、という風に首をふる宮本。長い髪がその動きに一瞬遅れながらついて回る。
「あのねぇ、一人ならいいわよ。一人になりたいなら。でも後輩来てるでしょ。しかも女連れでっ」
 脇田も漸く理解した。
「あのコは元々男だろ。しかも今は諸積といい感じだし、俺には関係ない。そんな事気にしてたのか」
「気にしてたのかって……。あったまきた。今日は絶対食べる。五時間目遅れてでも食べてやる」
 睨みつけながら、剣道部室へ走っていってしまう宮本を、脇田は頭を掻きながら見送っていた。
(やれやれ、あれさえなけりゃなぁ。………………あいつ何で入らないんだ?)
 部室前まで走って行った宮本だったが、扉に手をかけたまま硬直していた。何やら顔が赤くなっている。脇田が宮本の傍まで来ると、ギギギッと音がしそうな感じで首を回してきた。口元は「あうあう」と言っているように動いている。
「どうし……」
 どうした? と尋ねようとした時、部室から思わぬ声が聞こえていた。
『ぅんっ…………あッ……修ちゃんっ、ソコッ、すごくイイっ』
『……ココか? ……んっ、なんか段々、ほぐれて来た、かな。……こっちは? 』
『ゃンっ、はぁ、………………ソコも……あっ、そんなトコ、……垂れて来ちゃったよぉ……』
 どう聞いても男女の睦み事の最中の台詞。脇田も火が点いたように顔を熱く火照らしていた。思わず宮本と顔を見合わせてしまう。
「……これって、アレよね……。学校でって……」
「…………」
 妙に小声になりながら、宮本が問うが脇田は答えない。その間も室内での声は途切れず、艶っぽい吐息が耳に入ってくる。
「うそ、信じらんない。昼間よ昼間」
「あんの馬鹿たれがっ」
 脇田は宮本から視線を外すと、いつも気にしていた眼つきより数段凶悪な顔に変わっていた。いくら宮本でも脇田のこういう顔は見たくない。
「あの、崇? あんまり手荒な事は……」
 聞いているのかいないのか、脇田は引き戸の取っ手を掴むと勢い良く開け放った。
「お前らっ、ここをどこだと思ってんだっ!」
 中では、凛太郎の腰に手を置き体重をかけている修一と、トロンとした目で開け放たれた扉を振り返った凛太郎が机の上にいた。

 * * * * * * * * *

「すんません、部長。机の上で」
 椅子に座りながら小さくなっている修一と凛太郎が、その前で憮然とした表情でお弁当箱を突いている脇田に謝っていた。
「……ごめんなさい、僕が腰痛くってマッサージしてもらってて……」
 凛太郎は恥ずかしそうに頬を赤らめ、消え入りそうな声で謝罪を口にする。脇田の隣でサンドウィッチを食べていた宮本が助け舟を出した。
「ねぇ、別に疚しい事してたんじゃないし、そりゃこっちもびっくりしたけど、そんなにいつまでも怒る事ないじゃない。謝ってるじゃない、ちゃんと」
 黙々と食べ続ける脇田を暫く見ていた後、宮本は凛太郎の方を向き「ごめんね」という表情をしていた。
 脇田が最後のおかずを食べた後、やっと口を開いた。
「……部室に来て飯を喰うのもいいし、昼寝したきゃしても構わん。けどな、あらぬ疑いを掛けられるような事はすんな。大体マッサージだって言っても女の子の身体触ってるだろ」
「はぁ」
 修一が気のない返事を返す。脇田は縁なしメガネを外すとふーっと一息ついた。
「とにかく、学校内は止めとけ。いつか変な噂になるぞ」
「はぁ」
「すみませんでした」
 素直にぺこりと頭を下げる凛太郎に対して、修一は何か言いたげな顔をしながら、先程と同じように返事をする。
「崇っあんまり……」
 宮本が再度言うと、脇田も流石に折れた。
「まぁ、とにかくそういう事だから。もう行っていいぞ」
「あのー、部長」
 おずおずと修一が声を出す。室内の三人は一様に修一に注目した。何を言うつもりなのかと。
「なんだ?」
「部長と宮本さんてそういう仲なんすか?」
「ちょちょっと修ちゃん!」
(そういう事を今聞く?)
 ぎょっとしながら凛太郎が修一の袖を引っ張る。そのまま不思議な笑顔を浮かべつつ、修一を部室の外まで引きずっていった。
「す、すみませんっ、お邪魔しましたっ」
 脱兎の如く、二人の剣道部部長を残して退散して行った。


(その2へ)


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