月曜日 勉強会?(その1)


 明けて月曜日。来週から中間試験が始まる。高等学校に入学してから初めての中間試験だった。中学生の時、凛太郎はトップ10には届かないまでも、中学では20には常に入っていた。方や修一はと言うと、真ん中から少し下の方。今通っている高等学校のランクで言えば、凛太郎はもう少し上の学校を狙えたし、修一はぎりぎり、当時の担任に言わせれば「ほぼ奇跡」という具合だった。
 朝から修一が中間試験の話しをしていたのは、凛太郎にとっては助かった。昨晩の自分の言動と行動を省みると胸は熱くなるし、ドキドキするし、顔は紅潮してしまうし、恥ずかしさと後悔の念で修一の顔は見られないし、とにかく冷静ではいられなかった。
 早く答えを出してしまいたい、そんな気にもなっていたし、性欲を抑えきれない自分が嫌だったから、修一に伝える資格などないとも思っていた。
(修ちゃんの事、好きって思ってても、いいよね? それだけなら、迷惑かけないよね?)
 自問自答しながら、凛太郎は修一と登校していった。

 * * * * * * * * *

 廊下の壁に張り出された試験日程を、生徒の波に揉まれながら凛太郎と修一はチェックしていた。
「取りあえずな、今日から勉強会って事でいいだろ?」
 メモを素早く書き終えた修一が、人垣で日程が見えない凛太郎にそれを見せながら話し始めた。
「……うん、いいけど。どこでするの? 修ちゃん家? 僕の家? ねぇ、なるべくなら修ちゃんの家にしない?」
 書き終えたメモをしまいながら、凛太郎が修一を見上げる。ちょっと意外そうな修一の顔がそこにあった。
「え? いいのか? うちだと母親も帰ってくるし、笑もいるぞ」
 修一は凛太郎が自分の家で、というと思っていた。帰りがけの時間であれば当然制服姿だ。修一の母親は凛太郎が女性化した事に気づいていなかった。あまり女の子の身体を、知っている人物に見せたくないだろうと思っていたのだ。だから意外だった。
 凛太郎にしてみれば、昨日の余韻が残っている部屋に、修一を通したくなかった。自分の心が解ってしまった今、なるべく二人になる機会が欲しいと思う反面、ふとした拍子に自分が修一に好意以上のものを持っている事がばれた時、修一の反応が知りたくないとも思っている。あの部屋で二人っきりになったら、自分の欲望のスイッチが入ってしまうかも知れない。そんな事になるのは嫌だった。
 それにほんの少し、勇気を蓄える時間と覚悟を決める時間が欲しかった。山口家では千鶴は夜遅くにならないと帰らない。それならば人がいるだろう諸積家の方がいいと考えていた。
「修ちゃん、まじめに勉強するって言ってたじゃんか。だから笑ちゃんいても平気でしょ? 二人の方がいいの?」
 まじまじと修一の顔を覗き込みながらも、少し茶目っ気を出す。本当は自分が二人になりたいんじゃないの? と思いながら。
「……ちゃんと勉強するっての。雑音が入らねぇ方がいいと思ったんだよ。それだけだって。お前と二人で何をどうしよってんだよ」
 少しムッとした表情を見せながら修一が答えるけれど、二人きりだと修一自身が、肥大しきった獣を抑えきれないかも、と感じていた。
 修一の言葉に凛太郎は胸が痛かった。やはり自分を男と見てるのだと改めて感じてしまった。
(修ちゃんの答え、わかってたのに……。自分で言って、わざわざ何とも思われてない事確認して……、馬鹿みたい……)
「ごめん、冗談、だったんだけど……」
 俯く凛太郎に修一は焦ってしまった。
(えっ、俺そんなにきつかったか? なんかまずったかな?)
「いやっ、悪い、俺もきつかったわ。ま、お互い様って事で。な? リンタ、今日から勉強よろしく頼むよ」
 凛太郎の肩に手を置くと、ビクッと反応している。修一がよく見てみると凛太郎の顔は真っ赤に染まっていた。その様子に少し驚き、修一は手を反射的に離す。
「お前、顔赤いぞ。大丈夫かよ?」
 凛太郎は修一に覗き込まれ益々身体が熱くなってきてしまった。
「何でもないよっ。ちょっと暑いだけだって。メモっちゃったから戻ろうよ」
(な、なんでこんなに意識しちゃってんだよ、もう。ダメだよ、修ちゃんに変に思われちゃうよ。平常心、平常心)
 修一の視線から逃げるように、凛太郎は生徒の群から抜け出していく。
「なんだぁ? リンタ、ちょっと待てよ」
 それに遅れずに修一も教室まで戻っていった。

 * * * * * * * * *

「ただいまぁ」
「……おじゃまします」
 放課後。凛太郎は勉強会の為に諸積家にやってきた。奥から修一の母が顔を出してくる。
「お帰り。あら、珍しいね。女の子のお客さん? 遠慮しないでゆっくりしていってね」
 ちらっと凛太郎を見ながらまるで初対面のように話しかける。多分シルエットだけを見て凛太郎の顔までは見ていなかったのだろう。
「何言ってんだよ。リンタだよ、リンタ。昨日会ったじゃねーか」
「こんにちは。昨日はごちそうさまでした」
 靴を脱ぎ修一が母親に間違いを諭す。凛太郎はちょっと戸惑いながら同じように玄関に上がっていった。
「え? リンタくん? ……ああ、そう言えばあんた言ってたわね。あらあら、まぁまぁ、可愛くなっちゃって。修一、あたしがいないからって変な事すんじゃないよ」
 凛太郎をまじまじと見た後、きつい目をしながら修一に釘を刺した。凛太郎はこの細かい事にあまり拘らない修一の母が結構好きだった。千鶴には無い豪快さと優しさ。なんとなく修一や笑に共通した所がある。
「あ〜? いないってどっか行くのかよ?」
「ちょっと町内会の寄り合いがあんのよ。今から出るから。リンタくん、何にもなくて悪いけど、あるもの食べていいからね。じゃあ、修一、行って来るから」
 そういうと、凛太郎の横を通り過ぎ出ていってしまった。
 いきなり二人きりの空間。凛太郎が修一を見ると、同じように修一も見ている。思わず二人とも視線を外した。
(あ、っと。ふたりっきりになっちゃった? どうしよう、なんかすごく意識しちゃうよ)
 その場でまごついている凛太郎に修一が言った。
「あー、リンタ。上行って勉強会始めようぜ」
「あ、うん」
 とんとんと、修一が先に立って階段を上る。修一の部屋は笑の部屋より奥にある。扉を開け中に入ると修一の、男の臭いが凛太郎の鼻に届いた。
 修一の部屋は笑の部屋と同じように小さなテーブルが中心にある。奥には勉強机が置かれ、その横にベッドがあった。畳敷きの床には剣道の月刊誌がそこかしこに散乱している。壁には中体連で取った賞状が飾られていた。以前から凛太郎がよく知っている修一の部屋だった。
「その辺適当に座ってろよ。なに飲む? ウーロン茶でいいか?」
 修一はブレザーをハンガーに掛けながら、入り口で突っ立っている凛太郎を座らせた。
「うん、それでいいよ」
 返事を聞くなり、修一は部屋から出ていく。凛太郎はその様子をぼんやり眺めていた。
「修ちゃんとふたりっきり、か。ちゃんと集中しなくちゃ。なんか僕の方が勉強出来なくなりそう」
 自然と早くなる鼓動を抑えるように、凛太郎は胸に手を当てて呟いていた。
 階下に降りた修一は、冷蔵庫からウーロン茶を出し、ついでにお茶菓子を探していた。適当な盆の上にそれを乗せコップに注いだウーロン茶も乗せる。
(全く、母さんが変な事言うから、こっちも変に意識しちまうじゃねーか)
 こぼさないようにゆっくり運びながら、修一は考えていた。
(しかし、これってすげー状況だよな。好きなコとふたりかぁ。……俺の理性、持つんかよ)
 修一はどきどきしながら、盆を持ち凛太郎の待つ部屋へ上がって行った。部屋に入ると既に凛太郎は、かばんから勉強道具一式を取り出して待っている。
「あ、修ちゃん、もう予定立てといたから。今日は英語。明日は日本史。明後日が現国。明々後日が数学。金曜は化学。で、土日がその復習」
 元々凛太郎は修一を待つついでに、図書館で予習・復習はばっちりこなしている。ベースが出来上がっているから、それ程苦もなく頭に入っていく。だから修一の勉強の面倒も見られるのだった。
 凛太郎に、どことなく嬉々とした表情で予定を述べられ、正直言って修一はうんざりしそうだった。しかし二人きりのチャンスは、そう滅多にあるものじゃない。諸積家で勉強する限り、いつ何時笑が帰ってくるかわからないのだから。
「今日は英語かよ。えーっと、英語の基本は音読と単語、だっけか?」
 盆に乗せたお菓子やウーロン茶をテーブルに乗せ、自分の勉強道具を広げながら、凛太郎を自信なさ気に伺うように見た。
 凛太郎はちょっと意外そうな顔を見せる。
「そう。修ちゃん良く覚えてたね。単語も大事だけど、読んだらニュアンス解るからね。文法は受験の時に散々やったから大丈夫でしょ?」
「あ〜、文法〜。まぁやったよなあ」
「はい、じゃ、ここから読んで。その後から訳していくから」
「はいよ」
 つっかかりながら英語の教科書を読む修一の声が部屋に響く。ちょっと低い声が凛太郎の耳に心地よかった。
「っと。声出して読むのって結構恥ずかしいよな」
 ウーロン茶に口をつけながら修一が言う。凛太郎はそれをちらっと見ながら、問題を書いたノートを見せた。
「これね。訳していって。多分ここ出るよ。関係代名詞入ってるし。構文もちょっと複雑かな。ほら、時間なくなるよ」
「……勉強の時って、お前ほんとに容赦ねーよな」
 ぶーぶーと文句を言う修一を凛太郎は無視し、シャープペンでノートを指した。不承不承、修一が問題に取り掛かり始める。が、一分も立たない内にがっくりと頭を垂れてしまった。
「どうしたの? 調子悪い?」
 少し心配そうに凛太郎が声を掛ける。修一が唸るような声を出した。
「わからん。どうなってんだ、これ?」
 はぁ、と溜息をつきながら、凛太郎が修一の隣へにじり寄った。不意の出来事に修一がぱっと顔を上げると、すぐ横にノートに目を落としている凛太郎の横顔が来ていた。
「どこが解らないの? ここの"that"は指示代名詞でしょ? で、こっちの"that"は関係代名詞。だから…………」
 頬の産毛まで見える距離にいる女の子から、シャンプーとそれ以外の香りが漂い、修一の鼻腔を擽って行く。伏し目がちの目を彩る長い睫が、瞬きで動く。修一は風が起こるんじゃないかとさえ思ってしまう。柔らかそうな小さな唇が言葉を紡ぐ度に、誘うように動いている。
 それを見ながら、修一の動悸は次第に激しくなり彼の耳に届いてくる。どくっどくっというその音が、部屋中に響いているように感じていた。
 修一の凛太郎に対する感情が、今にも飛び出しそうになってしまう。
(リンタ……。やばいって。そんなに近づいてたら、俺だって堪んねーよ)
 ふっと、視線を下に落とすと、白い肌に黒いチョーカーと銀の犬が栄えている。凛太郎がしゃべる度、それらが少し動いている。もっと下を見れば、なだらかな胸が上下に動いている。
(あぁ、リンタの胸っ。触ってみてぇ……)
 じくじくとした刺激が、次第に下半身に集まって、そこを熱く、堅くしていくのが解った。修一はグッと唾を飲み込んでいた。
「…………で、目的格がここで……? ちょっと修ちゃん。ちゃんと説明聞いてる? もう、しょうがないな。もう一度言うから。今度はちゃんと聞いててよ。……修ちゃん?」
 怒ったように言っていた凛太郎だったが、じっと見つめる修一の様子に不自然さを感じ、子犬のように無垢な顔をして修一を見つめた。
 その愛らしい表情に、修一の頭はもう、凛太郎で一杯になってしまう。クラクラと頭が揺れるような感じだった。
(ああああ、リンタ、すげー可愛い……、可愛過ぎるっ。もう、だめだっ)
「りりりりり、」
「り?」
 修一が変な事を言い出したと、凛太郎は怪訝そうな表情をした。
「リンタっ!」
「な、なに?」
 次第に険しくなる修一の顔。突然呼ばれ凛太郎はびくっと身体を震わせた。修一はそれにはお構いなしに凛太郎の両肩をつかむと、グイッと自分の正面を向かせた。
 凛太郎が見た修一の目の色。どこかで見たような目だった。そう、理が襲って来た時と似た色をしている。
(え? まさか、修ちゃんがそんな事する訳ないよ)
 ちょっと怯えたように、凛太郎が声を出した。
「ちょっ、ちょっと、修ちゃん? どうしたの?」
 修一はその顔を見て少しつかんだ手の力を抜いた。そして大きく息を吸い込んだ。
「リンタ。俺、もう我慢できねーから、言う。俺……………………お前の事好きなんだ」
「?!」
 修一の声は凛太郎の耳に届いていた。しかしその音が何を意味しているのか、凛太郎は理解するのに数秒時間を要した。まさか告白されるなんて思っても見ていなかったのだから。
(すき、って。隙? 鋤? 好き? 誰が? 修ちゃんが? 誰を? 僕を? え? ええっ?)
 急に凛太郎はアタフタしだし、顔を真っ赤に染めていく。胸が揺れてしまってるんじゃないかと思うほど、心臓が動きを強めていた。
「あ、でもっ……僕、男だよ。修ちゃん、男が好きなの?」
 凛太郎は、女の子として修一が好きなのによくそんな事が言えると思ってしまった。でも修一がどちらの自分を好きなのか解りかねているのも事実だった。これまでの修一を見る限り女の子の自分が好きなんだと言うのは解るけれど、「凛太郎の中身は男」というコンセンサスを無視している事になる。俯きながら修一に聞いてみる他なかった。
「俺な、初めてデパートの前で見た時から好きになってて、ずっと我慢してたんだ。どんどん可愛くなってくリンタ見てたら、胸に燻ってたのが大きくなってきてな。耐えようと思ったんだけどな、ダメだった。男の時は親友として好きだったよ、お前の事。今は……女としてしか見られねーんだ。可愛いお前の事ずっと守っていきてーんだ。自分勝手で悪ぃと思ってる。けど、この気持ちが止められねぇんだよ」
 修一の静かな、けれど激しさを秘めた言葉が、凛太郎の耳に残った。自分はどうしたかったんだっけ? そう思い何かしゃべろうとするけれど、声が出てこなかった。
 じっと凛太郎の反応を待っていた修一が、もう一度言った。
「俺はリンタの事がほんとに好きなんだ。お前、俺の事どう思ってる? 嫌いか?」
 凛太郎は猛烈な勢いでかぶりを振る。ふあっと髪が広がると、いい香りが広がった。心の中で女の子の凛太郎が心の内を言ってしまえと叫んでいる。徐々にその声が大きくなり、抗えない。確かに修一の事が好きなのだから。殆ど嬉しいだけでム胸が一杯だったけれど、ほんの少しだけ悲しかった。なぜだか涙がこぼれ落ちてくる。最近なんでこんなに泣くんだろう、とその場に相応しくない事がちょっと頭を過ぎった。
「あ……」
 修一はいきなり凛太郎を抱きしめてきた。咄嗟に凛太郎は修一の行動を押しとどめようとしたが、気づいたときには既に顔が修一の胸に押しつけられていた。涙が修一のワイシャツに吸い込まれ濡らしていく。
(……あ、すごい、修ちゃん、こんなにドキドキしてる。僕と一緒だ……)
 抱きしめられると安心するような、興奮するような、不思議な感覚だった。自分の心臓のドキドキも修一には解っているのだろうか、と考えてしまう。
 凛太郎の背中に回された修一の腕から力が抜けたかと思うと、身体が離れていった。
 少し赤くなったっている凛太郎の大きな目が、修一を真っ直ぐに捕らえる。
「……僕でいいの?」
「お前が好きなんだよ。誰でもない。リンタがいいんだ」
「……ホモって言われるかも知れないのに?」
「んなこと言う奴はほっとけよ」
「ずっと一緒にいてくれるの?」
「ずっといるって」
「もしかしたら、男に戻っちゃって、それでも好きでいてくれるの?」
「……その時は、その時だろ……」
 修一は少し考えながら答えていた。それはそうだ。男なのに男を好きになるとは思えない。好きなのはやはり女の子の凛太郎なのだ。少し照れたように言い始める。
「あのな、リンタ。ダメだったらいいんだけどな……。キス、していいか?」
 赤くなりながら真顔で聞いてくる修一。凛太郎も「キス」という単語に激しく反応してしまう。
(キスって、口つけるアレだよね? 僕と修ちゃんがキス?)
 思わず修一の唇に視線が釘付けになる。ぎゅっと結んだ口元が意志の強さを表しているようだった。
「えっ、でも、僕まだ、心の準備が…………準備が………………………………いいよ……」
 一旦はまだ待ってと言おうと思っていたが、じっと修一に見つめられているうちに返事が変わってしまった。男なのに男とキスなんて、と思ったけれど女の子の意識が肥大していた。女の子の部分が男を求めだしている事に、凛太郎はこの時点では気づかなかった。
 肩に置かれた手が、凛太郎を少しづつ修一の側に引き寄せる。段々迫ってくる修一の顔に、凛太郎は身体が熱くなってくるのが解った。
(こういうときって女の子って目瞑るんだっけ?)
 予備知識として知ってはいたが、自分がするとは思わなかった。初めてはいつかな? と思っていたけれど、まさか相手が修一になるなんて。
 凛太郎がゆっくり目を瞑ると、少し荒い修一の息づかいが聞こえる。そして早鐘のように鳴っている自分の鼓動。
「!」
 予想以上に柔らかい修一の唇が凛太郎の唇に着く。身体を刺激するような快感は無かったけれど、それとは別の歓喜が凛太郎の心に訪れていた。好きな人とのキス。味なんて無いけれど素直に嬉しいと感じていた。
「ん……」
 ふと、少し修一の唇が開いたと思ったら、舌先が凛太郎の唇を軽くつついてくる。少しづつ少しづつ凛太郎の唇を開かせる。そうしてほぐしてから、ぬるっと修一の舌が凛太郎の口中に入り込んできた。
 口は淫欲の門だと、凛太郎は初めて知った。入り込んで凛太郎の舌を求める修一の動きに、次第に力が抜けてきてしまう。ゾクゾクと背中を抜けていく気持ちよさに、凛太郎は思わず熱い吐息が出てしまう。
「ン、はぁ……」
 その吐息に気を良くしたのか、修一の舌が益々暴れはじめた。凛太郎は流れ込んでくる唾液をコクっと飲み込みながら、自分からも修一の舌を求めた。時々「ちゅっ」っと口から音が漏れるのが卑猥に感じる。
(ああ、なんか気持いい……)
 上体を支えていた腕をゆっくり修一の身体に回し、身体を修一に預けてしまう。それでも修一の上体は全くびくともせず、凛太郎を支えていた。
(え? やだっ、修ちゃん、そこはっ……)
 いつの間にか肩から消えていた修一の右手が、凛太郎の乳房をつかみ、やわやわと揉みしだく。すると凛太郎の身体はそれまで以上に熱くなり、意志とは関係なく反応していた。じゅん、と秘裂の奥が熱くなりヌルついた粘液が湧き出すのが感じられてしまう。
(……そんな、こんな簡単に濡れちゃ……。修ちゃんに淫乱だって、思われちゃうよぉ)
 胸を触られただけで直ぐに濡れてしまう自分の身体に、凛太郎は情けなさと悲しさと、修一にばれたらと思う怖さで、それまで感じていた心地よさや幸福感など吹っ飛んでしまった。修一の腰に回していた手を素早く離し、少し強引に修一を引き剥がした。
「ん……。リンタ?」
 ちょっと驚いたような声を上げる修一に、凛太郎は目を伏せながら言った。
「……だめだよ、これ以上は……」
「OKじゃないのか? 俺の事嫌いか?」
 好きじゃなかったらしないだろうに、修一は思わずそう言っていた。凛太郎もちゃんとした返事をしていなかった事に今気づいていた。
「修ちゃんの事、好きだよ。でも……」
 まさか魔物にイタズラされて感度がよくなって感じすぎるから触られたくない、とは言えない。凛太郎は次に言うべき言葉を探していた。修一にしてみれば大好物が目の前にあるのに食べられないようなものだった。
「なら……いいじゃねーか……。俺はリンタの全部が欲しいんだ」
 修一の目が次第に獣欲にかられてくるのが解る。はぁはぁと息づかいも荒くなっていた。その欲望に駆られた目を見て、凛太郎は少し怖くなっていた。
 告白された驚きと、嬉しさで少し流されてしまっていたかも知れない。好きだから全部求めるのも解っているけれど、しかしこれでは身体だけじゃないのかとも思えてしまう。
 修一がぐっと肩をつかんだ所で凛太郎の思考が止まった。あっと言う間もなく押し倒されてしまう。見上げる修一の目はまるで理と一緒だった。思わず目を瞑ってしまうと、修一はそれをその後の行為の肯定と受け取ったのか再び唇を重ねていた。
(やだよ、修ちゃん、これじゃ女の子の身体だけ欲しいだけじゃんか。修ちゃんは「僕」が好きなんじゃないの?)
 うー、と唸っても全くどこうとはしない修一に、凛太郎は戸惑いを感じていた。目を開くと修一の睫と眉が見える。口中を蹂躙する舌が凛太郎を痺れさせた。
「あ、うンッ」
 さっきは遠慮がちに胸に触っていた修一の大きな手が、ブレザーとブラウスの間に入り込んで揉んでくる。乳房から快感の信号が脳まで届くと、新たに生じた快感が下腹の辺りに溜まっていった。その感覚に凛太郎はもじもじと腿を摺り合わせてしまった。
(やあ、気持いいっ。やだっ修ちゃん、もう止めてよ。これじゃお父さんと一緒だよぉ)
 力一杯修一を剥がそうとするけれど、快感に酔いしれ始めた身体は力が入らない。男の怖さが凛太郎の心にじわじわと進入してくると、涙が出てしまった。温かい涙が凛太郎と修一の頬を濡らしていく。その感触に驚いたように修一が口を離した。
 凛太郎は泣かないようにしようと思っても、口から嗚咽が漏れてしまう。せめて泣き顔だけでも見られないようにと背中を丸め、胸を隠すように横を向いた。修一は戸惑っているのか、何も言ってくれない。
「……こんなの、やだよ。好きだけど、違う。修ちゃんは……こんなことしない」
 やっと口を開いたけれど、凛太郎の頭は全く纏まらなかった。修一を受け入れてしまえと言う自分もいる。自分も修一が欲しくなってるとも思う。けれど、最後の所でそれを欲してはいけないと、待ったをかける自分がいた。どうしたらいいのか解らないまま、凛太郎は取り留めもない事を口にしていた。
(あぁっ、俺、なんてことしてんだよっ。リンタ傷つけてどうすんだ。さっき守るって言ったのに……)
「リンタ、俺は…………ごめん、反省してる」
 修一はいつになく小さな声で凛太郎に謝っていた。その心には自己嫌悪しかなかった。折角告白してもこれでは身体だけが目的のように思われても仕方がない。キスだけならまだしも、胸まで揉んでいては弁明のしようが無かった。
 むっくりと凛太郎が起きあがってきたが、俯いたままだ。修一は何をどう話そうかと必死に考えを巡らせていた。沈黙を破ったのは凛太郎だった。
「修ちゃんといると安心したし、あったかいし、守ってくれてるの解るし、近くにいると胸がドキドキするし。ほんとに好きって思った」
 少し落ち着きを取り戻した凛太郎が静かに語るのを、修一はじっと聞いている。
「好きだけど、よくわかんない。……返事、少し時間貰っていい? 頭、ごちゃごちゃになって、考え纏まらないから……」
「うん、悪かった。焦り過ぎだった」
 凛太郎は見ていなかったが、修一は深々と頭を下げた。それに呼応するように凛太郎が顔を上げた。
「泣いてごめんね。さて、勉強、しよ」
 無理矢理笑顔を作り、努めて明るく振る舞う。
「ああ、お願いします」
 修一もそう答えた。

 一時間程勉強を続けていると、笑が帰ってきた。とたとたと階段を登り、修一の部屋に顔を出した。
「お兄ちゃん、凛ちゃん来てる?」
 ノックもせずにいきなり扉を開け、明るい声で尋ねてくる。凛太郎と修一はノートと教科書から目を離し、朗らかな表情を見せる笑を見た。
「お前な、自分の部屋だとノックしろだの言ってんだろ。お前もそうしろよ」
 呆れたように修一が抗議したが、笑は全く意に介さず平然と言い返す。
「女の子の部屋に入る時は当然でしょ。男の部屋に突然入っても何にもないじゃん。あ、一人で変な事してる時はダメか」
 笑はおやじのように含みを持たせた言葉で言う。凛太郎も修一も何を意味しているか通じていた。
 思わず凛太郎は修一の顔をしげしげと見つめてしまう。修一はその視線に顔を真っ赤にして少し怒鳴るように笑を牽制した。
「あほっ、んな事してねーよ。おやじか、お前は。試験勉強の邪魔だからあっち行ってろ」
 笑の事をさも邪魔者と行った感じで、しっしっ、と手で払うようなジェスチャーを見せる修一。笑も心得たもので、直ぐに退出しようと廊下へ出た。
「じゃ、凛ちゃんまた後でね。お兄ちゃんの事スパルタで扱いていいよ。あたしが許す」
「早く出てけっ」
 凛太郎はコントを見るような感覚だった。掛け合い漫才と言おうか。気心が知れた同士の会話は聞いていて楽しい。笑が帰ってきた事で、雰囲気がガラリと変わっていた。
 二時間も経つと修一、笑の母も帰宅していた。しきりに夕御飯を食べていけと言っていたが、凛太郎は母も作って待っていると思うので、となんとか断った。笑も頻りに食べていけと言っていたが、最後には諦めたようだった。
 薄暗い中、凛太郎は修一の母にごちそうさまでした、と言うと自転車に乗って自宅へ戻っていった。


(その2へ)

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