日曜日 面会(その1) 毎月第三日曜日は、凛太郎が父親と会う日だった。毎月この日は千鶴の機嫌があまり良くない。凛太郎もそれを知っているので、なるべく静かに、速やかに外出する事にしている。 凛太郎の父親、吉田理(おさむ)と母親、山口千鶴が離婚したのは、凛太郎が中学二年の時だった。会社の女子社員に手を出したこと、簡単に言えばこれが離婚の原因だったが、実際にはそれだけではなかった。吉田理と言う人物は、40代には見えない若々しい容姿を持つ実業家だったが、色事が好きで多くの妾や愛人を作っていたのだ。元々吉田家はこの地方でも裕福な家系で家族経営の企業をいくつか持つ、地域の資産家であり名士だった。言ってみれば女遊びは金にあかした趣味、のようなものだったが、妻となった千鶴にとっては容認出来ない所だった。 千鶴と理の関係自体が多少問題を抱えていた。吉田家と山口家は親戚同士であり、千鶴と理はいとこ同士でもあった。本家にあたる吉田家の新年行事に久しぶりに参加した山口家。そこで美しく成長した当時19歳の千鶴に劣情をもよおした理がアタックしまくり、半ば強引に関係を結んだという経緯があった。そしてその時のセックスで見事に的中し、千鶴が凛太郎を身籠もってしまった。 横溝正史の小説に登場するような山深い山村、ではないにしろ、比較的田舎の部類に入るこの辺りでは、いとこ同士と言っても当然「近親相姦」的な目で見られる。親戚の中には財産目当てで千鶴が誘ったのだ、そんな話しも出ていた。多少乱暴に関係を結ばれた千鶴からすれば失礼千万な話しだったが。確かに同族会社の役員で収入も安定している、そんな打算もあるにはあった。しかし愛があった(と思った)から千鶴は理を受け入れたのだ。親戚の蔑みの目もだからこそ耐えたし、殆どの血縁者と絶縁状態となっても理と凛太郎がいたから平気だった。それ故に、理の裏切り行為は許せなかった。 理がちょろちょろ浮気をしていたのは、雰囲気で解った。しかしそれも一時の事と思えば我慢も出来た。ところが凛太郎が中学一年の時、突然理が帰らなくなる。丁度千鶴が仕事をし出した頃から、別居のようになってしまっていた。興信所を使い調べてみると、一人二人の話しではなかったのだ。合計で五人の愛人がいた。それでも当初は戻ってくるだろう、そんな期待を持っていたけれど、理が勤めている会社の社員に手を出した所で堪忍袋の緒が切れた。即離婚届けに判をつき理に送りつけたが、理の方は頑強に離婚を嫌がった。世間体が悪い、浮気は男の甲斐性だ、などと勝手な理屈を付けごねていた。そして結局法廷闘争となり、当たり前だが千鶴が勝った。凛太郎の親権と慰謝料を手にした。今住んでいる家はこの時の慰謝料で手に入れたものだ。 凛太郎にとってはたった一人の父親だったが、多感な時期に側におらず、母親を泣かせ続けた理には正直言って怒りもあったし、あまり近しい人という意識も無くなっていた。ただ昔から理本人は凛太郎を可愛がっているつもりだったらしい。会話は多くなかったけれど。 現在理は駅三つ離れたワンルームマンションに住んでいる。毎回そのマンションで理と会ってから、凛太郎と二人で適当にぶらぶらと散策しながら、他愛のない話しをする、そんな日曜日だった。しかし今回はちょっと、いや大分、違う。 「凛ちゃん、あの人にね、これ渡してね。部屋に入る前に玄関で渡して。そこで読んで貰って。読むまで部屋に入っちゃだめよ」 朝御飯が済み、出かける支度をしている凛太郎に、千鶴があまり面白くなさそうな表情をしながら手紙を差し出した。普通の白い封筒に、一言「理さんへ」とだけ書かれている。凛太郎はまだ着替えの途中で薄い黄色の縦ストライプの入ったブラウスを着て、デニムのスカートを穿こうとしていた所だった。 「なに? これ? お父さんへの言づてだったら僕に言えばいいのに」 (それくらい子どもじゃないんだから出来るけどな。僕には言えない事なんかな?) 凛太郎は千鶴から手紙を受け取りながら、尋ねていた。 「大事な事だから、正確に伝えないとね。で、凛ちゃん、なぜスカート穿いてるの? 修一君と遊びに行くときはあんなに嫌がってたのに」 まだ止めていないスカートが腰で引っかかった状態なのを、じーっと見ながら千鶴が不思議そうに問う。確かにあれだけスカートは嫌だと言っていた割に、それを穿いて出かけようと思うのは何かの心境の変化に思えた。 千鶴に問われ、凛太郎は少し頬を朱に染め、スカートを止めながら答える。 「……なんかさ、制服で少し慣れたっていうのかな。ちょっと興味が出たっていうか……。それにお父さんからのメールでスカート穿いてこいって……。え、あの、お母さん?」 先週の日曜日、修一と笑が「女の子であることを楽しむ」という提案から、凛太郎はちょっと勇気を出していた。尤も、理のメールがなければ、スカートを穿いて行こうなどと考えなかったが。 いつも優しげな千鶴が、「スカート穿いてこい」のフレーズを聞いた辺りから表情が一変してしまった。兎に角、怖い。その一言に尽きた。 (え? なんで? そんなに変な事言った? スカートに興味持ったのまずかったかな?) 凛太郎は千鶴が顔色を変えた原因はスカートだと思っていた。確かにそれは半分当たっていたが。 「……凛ちゃん。今直ぐ脱いで。ズボンに穿き替えて。金輪際、あの人の前でスカート穿かないで。隙を見せるような事しないで、お願いだから」 千鶴は、凛太郎の実の父親とは言いながら、理を信用していなかった。下半身にだらしなく、手が早い。もし無防備な、自分そっくりな凛太郎が理の前に行ったら……。ゾッとするような光景が広がってしまう。そうならないように釘を刺す手紙だったが、それを持っていく凛太郎が、「食べて下さい」的な格好をしていったら意味がない。 今にも泣きそうな千鶴の顔を見、凛太郎は思わず「うん」と答えていた。千鶴は満足したように「ありがとう」と言うと、そのままタンスからベージュのチノパンを取り出していた。 凛太郎は「うん」と答えながらも複雑な心境だった。 (それって、お父さんが僕の事襲うかも知れないって事? いくらお父さんでも、まさか実の息子に手を出すなんて……。あ、今は女の子か。でもそれって異常だよ、お父さんでもあり得ないよ) それ程尊敬している訳ではないが、千鶴と違って血の繋がっている父親だ。いくら何でもそんな獣じみた事はしないだろう、ましてや実の子どもに対して……、そう考えていた。千鶴と理がいとこ同士というのは知っていたが、法的にも婚姻が認められているのだ。近親相姦ではない。実の父親と今は娘になっている息子とは訳が違う。そんな事を考えていると、千鶴がチノパンを凛太郎に手渡しながら言い始める。 「凛ちゃんは女の子になってからまだ二週間くらいでしょ? 女の子って凄く気を付けないといけないの。男に隙を見せちゃだめ。それが誰であってもよ。ちょっと親しい位で身体に触るとか、そんな事したら周り中勘違い君だらけになっちゃうからね」 (勘違い君てなんだろ? 修ちゃんの腕触ったけどまずかったかな?) 凛太郎はスカートを脱ぎ、ズボンを穿きながら聞いてみる。 「勘違い君てなに? 僕ってそんなに隙あるかなぁ」 脱いだスカートを畳みながら、千鶴はちょっと考えてから凛太郎に言った。 「男はね、女の子がスキンシップしすぎると自分の事を特別だと思っちゃうのよ。だから親しくしててもあまり凛ちゃんから触っちゃだめ。勿論今の凛ちゃんに軽々しく触ってくる男もおかしいけれどね。修一君に対してもあんまり触っちゃだめよ」 (修ちゃんとは結構ふれあっちゃってるけど……、言わない方がいいよね) 凛太郎はジッパーを上げ、薄い紫のパーカーを羽織る。先週の日曜日に持っていったディバッグに手紙を入れた。 「不用意に男の子に触れちゃダメってことだよね。じゃあさ、お父さんにも触れちゃ……」 「ダメ。特にあの人はダメ」 凛太郎の問いに間髪入れず答える千鶴に、少し不満を持つ凛太郎だった。 * * * * * * * * * 毎月機嫌の悪くなる千鶴を残し、理と会う生活が二年続いている。凛太郎も試験など特別な用がない限り第三日曜日は父と一緒にいた。尤も理が歓迎しているのかしていないのか、表面上ではよく解らなかった。 目的の駅から理の住むワンルームマンションまでは徒歩で10分程度だった。てくてくと住宅街を進んでいくと、クリーム色の地肌に緑の屋根のようなものが乗った七階建てのマンションが目に入ってくる。部屋数は一階当たり五部屋。細く長い印象のビルだった。 丁度十字路に面した土地に建てられているため、正面エントランスは角に作られている。ガラス張りの自動ドアが開き凛太郎が中に入ると、正面右手の壁に銀色の金属で作られたインターホンと丸いテンキーが付けられている。凛太郎は父が借りている403号室と通話するため、テンキーを403と押した。その後通話を押す。一分待ったが応答がない。 (あれ? お父さんいないのかな? 今日の筈なんだけど……。って昨日メール来たじゃんか) もう一度凛太郎が部屋番号を押すと、暫くしてから返答があった。 『どちらさん?』 少し不機嫌そうな声色だ。理がこういう声を出しているときは寝起きか、酒を飲んでいるか、だった。 (まさか、飲んでないよねぇ) 寝起きならまだ良いが、酒が入っているとちょっと相手をするのが嫌だった。何しろ直ぐに会社の話しや千鶴の悪口になる。理の酒は、あまり良い酒ではなかった。若干不安になりながら凛太郎がインターホンに語りかける。 「……あの、凛太郎だけど……」 しばしの無言の後、理が答える。 『なに? 凛太郎? 声が違うな。まぁ入ってこい』 奥の自動ドアのロックが外れ、扉が開いた。凛太郎は小走りに通り抜けると、エレベータに飛び乗った。 (なんか飲んでる気がするなぁ。僕が来るのわかってて昼間から飲むなよもう) エレベータが停まり扉が開く。エレベータから降りると直ぐに廊下に出て、403号室の前まで来ていた。 凛太郎は玄関のチャイムを押そうと手を伸ばしたが、一瞬考えて手を引っ込めた。肩に下げたディバッグを下ろし、中から千鶴から預かった手紙を手に取る。そして一度深呼吸した。やはり女の子の姿で理に会うのは緊張する。父が自分をどう見るのか、どう表現するのかちょっと心配だった。 チャイムを押すと、中でドスドスと音がする。ロックの外れる音がして、扉が開いた。そこから覗いた父の顔は先月会った時とは変わっていた。理は40代に見えない容姿、顔もダンディと言っても良いほど整っていた。しかし今日見る父は、無精ひげを生やし、目は引っ込みやつれた表情をしていた。凛太郎はそんな理を見て少なからずショックだった。どんな時にも姿形だけは格好良かったのに。この変わり様はなんだろう。 「……お前、凛太郎か?」 多分それが普通の、常識的な反応だろう、凛太郎はそう思った。理は凛太郎を上から下までじーっと眺め、自分の記憶の中の凛太郎と照合しているのだろう。そして出てきた言葉があれだった。 凛太郎はやっぱりなと思いながら、あまりにまじまじと見つめられてちょっと恥ずかしくなってしまった。特に理が胸の辺りを集中的に見ていたから。 「そうだよ。凛太郎。はい、これ。お母さんから。部屋に入る前に絶対読んでって言ってたよ」 理は少し怪訝そうな顔をしながら凛太郎から受け取ると、封を切り読み出す。文章が短いのか直ぐに読み終わったようだった。しかしその表情は、冷徹な笑みを口に浮かべまるでその内容を嘲笑するかのように見える。 「読むか?」 その表情を見て少し引いている凛太郎に、理が手紙をひらひらさせながら言ってきた。凛太郎はまだ廊下、理は扉を開けたまま玄関先にいた。 「え? いいの?」 千鶴がかなり強く言った言葉を思い出すと、とても理に取っていい言葉が書いてあるとは思えなかった。それでも理は読んでもいいと言う。一体何が書いてあるのか、凛太郎は少し興味を持っていた。 「別に隠すような内容じゃないさ。ほれ」 凛太郎の胸元に手紙を突き出すと、理はそのまま玄関から部屋に引き込んでしまった。凛太郎は手紙を持ちながら玄関の扉が閉まる前に慌てて後に続いて入った。 扉が閉まると、少し暗い明かりで手紙が照らし出される。凛太郎は手紙を見ると、その内容に絶句してしまった。 『その子はあなたと私の子どもです 父親として理性的に行動して下さい』 (これって……お母さんよっぽどお父さんの事信用してないってことか……。ちょっと酷い、かな) 玄関先で凛太郎が手紙を読み、父親に対して何事か考えている時、理から声がかかった。 「凛太郎! そんなとこにいないでさっさと入って来いっ。少しは俺の相手でもしろ」 玄関先で会った父は、それ程酒の臭いもしていなかったから、昨日飲んで今し方まで寝ていたのだろうと思っていた。しかし実際にはかなり飲んでおり、泥酔に近い所まで来ていた。 「今、上がるよ。ちょっと待ってよ」 デッキシューズを脱いで玄関から上がる。玄関の直ぐ左手には浴室と洗面台があり、洗濯機や乾燥機もここにある。細く短い廊下を隔てた右側は荷物も入るドレッサーのようになっている。浴室の隣はトイレで、廊下の突き当たりの扉を開けるとダイニングキッチンとなる。その奥に居間があった。ワンルームとは言っても、各部屋にはロフトが付いている。理はロフトを寝室代わりに使っていた。 凛太郎が廊下からキッチンへ入ると、流しには洗っていない皿や鍋が溢れ返っている。少し異臭を放っている気がした。 (あ〜あ、何やってんだか。ゴキが来るよ、ゴキが) 足下のウィスキーの瓶を避けながら居間に入ると、ソファに横たわりながら、理がちびちびと新たなウィスキーを飲んでいる。床には背広や靴下などが散乱していた。 「そんなとこに突っ立ってないで、適当に座れよ。飲むか?」 (はぁ? どこに座るスペースが……。大体僕は未成年だってば) 父の問いに頭を振りながら、座れる場所を探してみる。しかしない。必然的に理が使っているソファしか空いていなかった。 「お父さん、ちょっとそっち詰めてよ。隣座るから」 理は無言で座り直すと、グラスをあおり、ボトルから新たに酒を注いだ。凛太郎は理の右隣にちょこんと座りながら、その様を見て、そして部屋に入ってからの有様を聞いてみた。 「あのさ、あの人どうしたの? 掃除しない人だっけ?」 あの人、千鶴と理の直接の離婚原因となった、理の会社の女子社員。前回理と会ったときには、その人の話しも出ていたが、この部屋の惨状を見てみると、とても今一緒に住んでいるとは思えなかった。いないのだろうとは解っていたが、凛太郎は敢えて尋ねてみた。 父の顔を横から見ると、苦虫を潰したような顔をしている。 「あいつは……俺の金が無くなったらあっと言う間に出て行きやがった。全く千鶴といい、あいつといい、女ってのは現金な奴らだよ」 そう言い終わるとまた酒をあおる。一気にショットグラスのウィスキーが理の喉に消えていった。 「千鶴もな、なんでもかんでも持っていきやがって……ったく。凛太郎、ほれお父さんに注げっ」 (また始まった……。飲むとお母さんの悪口言うし。楽しくないなぁ、もう) 凛太郎は酔っぱらいには逆らわず、ボトルを手に取ると、グラスを持った手を突き出している理に、ウィスキーを注いだ。トクトクとボトルから良い音が響き、綺麗な琥珀色の液体が注がれていく。理はその色を見ながら、少し座り加減の目で凛太郎を見た。 横にいるのは千鶴によく似た女だった。先月会ったときには、吉田家の跡取り息子としてなんとしても取り返したかった。しかし今いるのは女だ。跡取りには出来ない。理は自分の不手際をいつも呪っていた。千鶴とは遊びの筈だった。しかし目の前にいる凛太郎が出来てしまったことで、結婚する事になってしまった。離婚時でもせめて跡取りだけでもと吉田の家では言われていたが、結局取られてしまう。一番悪いのは理本人だったが、彼自体はそんな事は思ってもいなかった。千鶴の色香が自分を狂わせ、人生を狂わせ、この凛太郎もそれに一役買った、そう思っていた。 「お前は大事な吉田の跡取りだったんだ……。千鶴なんぞに任せたから……女になっちまいやがって」 吐き捨てるように言う父親に、さすがの凛太郎も腹が立ってきた。元はと言えば自分の浮気が原因ではないのか。 「お父さん、お母さんの事そんな風に言わないでよ。僕が女の子になっちゃったのとお母さんは関係ないじゃんか」 ボトルを持ったまま、上半身をねじ曲げ理の方に向いた。 「大体、お父さんが悪いんでしょ? お母さん以外の人と、その、浮気したから。慰謝料とかだってそのせいだって、僕だって知ってるよ」 「お前なかなか言うじゃないか。ふん、そう言えば今は女だったのか。どこまでが女なんだ? ここか?」 いやらしいオヤジそのままに、理がグラスを持たない右手で凛太郎の胸をつついてくる。凛太郎は思わずボトルを持たない手で胸を隠した。 「なっ? ちょっとお父さん冗談でも止めてよっ。なんかどっかのスケベ親父みたいだよ。変な事するならもう帰るよ」 幾分顔を赤くしながら凛太郎が叫ぶ。赤くなったのは勿論恥ずかしさではなく、自分の父親に対する怒りの現れだった。千鶴が理の事を言っていた時、凛太郎は言い過ぎだと思っていた。しかし今の理の行動を見ていると、強ち言い過ぎとは言い切れない。むしろ千鶴の言っていたことこそが本当だと思われてしまう。少しは父を尊敬していた凛太郎からすると、代わったその外見だけでなく、中身の変貌もショックだった。たとえアルコールが入っているにせよ。 理の心理状況は、アルコールでタガが外れた状況で凛太郎を見てしまった事で、切れそうになっていた。何の事はない、最近セックスがご無沙汰だったことと、いきなり若い肉体が目の前に現れ、甘美な香りを鼻先で振りまいている、その二つが合わさり理の理性を蝕んでいたのだ。そして理は徐々にそれを抑えられないようになり、むらむらと目の前の若い雌を犯したい衝動に駆られていた。実の子どもだと解っていても、なぜかその気になり出していた。誰かが耳元で囁いている気がする、犯してしまえと。そして同時に言わなくてもいい事まで言いたくなっていた。言葉でもいじめてやれと。 ぐいっと酒を飲み干すと、徐に凛太郎に向き、理が話し始めた。 「本当はな、千鶴となんか結婚する気はなかったんだよ。あいつは見た目可愛かったからな、今のお前みたいに。だから誘ったんだよ。そしたら運悪くお前が出来ちまった。だから仕方なくだ。出来たのが男だから吉田の家も許可してくれたものの、今のお前じゃどうしようもないな。吉田の家には女なんぞ存在価値なしだ。はは」 凛太郎は言葉が出なかった。それが例え本心だったとしても、面と向かって言われたくなかった。子どもは愛の結晶、そんな言葉はこの父親にはなかったのだ。ただ、セックスした結果として出来てしまっただけ。しかも男だったから存在価値があったという。今の自分は無価値。少し前までは父に対する敬愛の念もあった。しかし今は、何も、無くなってしまった。 「あ、な、なんでぇ、そんなこと……別に言わなくても、いいじゃんか……」 呆然と理を見つめながら、かろうじて言葉が出てきた。しかし言葉の最後は自分の耳にも殆ど聞こえなかった。見つめる先の理は、少し陽炎のように揺らぎ始めている。凛太郎にはそれが涙のせいだとは考えられなかった。 「お前には言わなきゃわからんだろうが。全く忌々しい。お前がいなけりゃ悠々自適だったんだよ! おまけに千鶴そっくりの女になりやがって。女なんて男に奉仕するくらいしか使い道が無いくせになっ!」 もう、これ以上は聞きたく無かった。顔も見たく無かった。いくら酒が入っているからと言って、あまりに酷い言いようだ。凛太郎は父に顔を見せないように俯き、ウィスキーの瓶をテーブルに載せると、のろのろと立ち上がった。泣きそうだったけれど、何とか堪えていた。ここで泣いたら理がまた何か言いそうな気がしたから。 「もう、帰る、から……。ぅわっ?」 消え入りそうな声でそう言ったとき、凛太郎の左腕がつかまれ、強引にソファに引き倒されていた。 ぐいっと両腕の上腕部分を理に上から抑え込まれてしまった。身動きが取れない。涙が溢れそうな凛太郎の目に映ったのは、ぎらぎらと光る獣の目だった。それも欲望のはけ口だけを求める目だ。 「……あ、お、とうさん、僕だよ? じょうだん、止めてよ。腕痛いから……離してよ……」 凛太郎は少し引き吊った笑みを浮かべながら、のし掛かってくる理に言うが、理は聞いていないのかじっと凛太郎の胸元を凝視している。実の父親がまさか、とは思ったが、早くこんな状況から脱したかった。凛太郎はもう一度言った。 「お父さん、冗談止めてってば。僕もう帰るから。もう来ないから、ごめんなさい。お願いだから離してよぉ」 殆ど泣きながら、理に懇願していた。なぜ謝っているのか自分でも解らなかった。しかし逆光で見る理の顔は、凛太郎には恐怖しか与えない。 (お母さん、助けてっ。修ちゃんっ。親子なのにっ。なんで? どうしてぇ?) 理はただ囁かれ、心に入り込んできた声に従っていた。目の前の女を犯せ、犯せ、犯せ。お前の人生を狂わせた女を。両腕を力任せに上げると、凛太郎の腕を交差させ、その接点、手首を左手だけで纏めてしまう。そして右手はブラウスのボタンへと向けた。 「……あ、うそでしょ? お父さん、こんなの……ごめんなさい、女の子になってごめんなさい、もう許してよ、お父さんっやめてっやだよおっ」 ぼろぼろ涙が溢れて父親の姿が歪む。部屋も何もかもが歪んだ中でやめてと懇願するしか出来なかった。当の父親はじっくりと味わうようにブラウスのボタンをはずしていく。チョーカーから下がる銀の犬がちらちらと輝く。一瞬、理の動きが止まったが、直ぐに再開された。それも凛太郎の鳩尾が露になる所までで終わった。可愛らしいピンクのブラジャーが見えると、舌なめずりをしながら上から眺めている。凛太郎はぎゅっと目を瞑り、叫んでいた。 「ほんとに女の子になっちゃってごめんなさいっ。そこも女の子だからっ。もうわかったでしょ? ねっ? もういいでしょ? お母さんに言わないからっ絶対言わないからっ!」 不意に胸の辺りに重さを感じた。凛太郎は瞬間、「もうだめだ」と思った。しかしそれは抱きしめられると言うのとも違う、ただ重いモノが乗った感じだった。恐る恐る目を開けてみると、理が凛太郎の胸の間に顔を埋め、すーすーと寝息を立てていた。 凛太郎は捕まれた腕を外し、重たい大人の男の身体を苦労してどかした。上から見下ろす父親は、酷く小さく見える。見ながら恐怖と悔しさのせいで涙が止まらなかった。 (僕の中に、こんな人の血が半分も混ざってるんだ……。えっちに見境なくなっちゃうのってこの人のせいなんだ……) 流れ出る涙を手で拭いながら、外されたブラウスのボタンを留めていく。上までいくと「ワンコの修一くん」に触れた。凛太郎はぎゅっとそれを両手で握り、今自分がしたいことを素直に口にした。 「修ちゃあん、会いたいよう……」 理の頭を蹴飛ばしてやろうかとも思ったが、いざしようとすると出来なかった。酷いことも言われたし犯されるとも思った。しかしまだどこかで血の繋がりを信じたい、そんな心理が働いて蹴飛ばせなかった。その代わり、凛太郎が今回の元凶だと思っているウィスキーを流しに持っていき、それを全部流してしまった。 まだ理が寝ている事を確かめてから、洗面所で顔を洗いそのまま父親のワンルームマンションから駆け出していった。背後で誰かの舌打ちが聞こえたが、修一のもとへ急ぐ凛太郎の耳に、それは残らなかった。 (その2へ) |