火曜日―水曜日 夢の中の陵辱(その2) 明けて水曜日。制服デビューの日だと言うのに、生憎の曇り空だった。まるで凛太郎の心中を反映しているかのようだ。凛太郎は洗面所で鏡に映った自分を見た。濡れタオルが効いたのか瞼は腫れていない。 パジャマを脱いでTシャツを着る。昨日練習したように、ブラウス、上着、スカートの順で制服を着込んでいく。リボンは一番後にした。 十字架をつけた時計を左腕にはめ、「ワンコの修一くん」チョーカーを着ける。鏡に映った自分は、いつもと違って全くの女の子になっていた。 (今日は、きっと色々あるだろうな……) 漠然とそう思ってしまう。それまで男子生徒だった凛太郎が女子になった。ただジャージを着ていたから、あまり違和感は無かったと思っている。ジャージをずっと着ている生徒が女性化した生徒、と区別はされていたけれど、それとはまた別の話だ。しかし今日はまるっきりの女生徒。自分で鏡を見ても「女の子」と思うぐらいなのだから、クラスメイトはきっと大騒ぎするだろう。「僕の中身は男だから」そう言ってもこの姿では通用しそうにない、そんな事をつらつらと考えていた。 階下に降りていくと、千鶴がもうそろそろ家を出ようとしているところだった。 「お母さん、おはよう」 ダイニングキッチンのテーブルから立ち上がりかけていた千鶴に声を掛ける。その声に千鶴は振り向き、じーっと凛太郎を見つめた後、朗らかな表情で言った。 「おはよう。やっぱりその制服かわいいわね。お母さんの時代にそういうのがあったらもっと……」 千鶴は夢見る少女のような顔をして、宙を見つめながら何事かを想像している。そんな母を見ると、凛太郎はもう少し自分の状況を考えて欲しい、と恨めしく思ってしまう。 「……あのさ、これどこかおかしなとこない?」 両手で袖をひっぱりピンと伸ばして見せる。 「クルッと回ってみて。後ろも見ないとね」 千鶴はイスに座り直し、身体ごと凛太郎の方を向いた。 凛太郎は言われた通り、その場で一回転してみせる。スカートが遠心力でふわっと揚がった。 「! 見えたっ?」 凛太郎は赤くなりながら慌ててスカートを押さえる。その仕草自体が女の子していたけれど、凛太郎自身は気づいていなかった。 「ううん、見えてないわよ。そこまで慌てなくても大丈夫。ちゃんと可愛く着れてるし。我が子ながら素材がいいのねぇ」 しみじみと言う千鶴に凛太郎は少し呆れてしまった。殆どの人が千鶴と凛太郎はそっくりだと言う。修一もそうだ。凛太郎の外見を褒めると言うことは、詰まるところ暗に千鶴自身を褒めているような気がしていた。 (お母さん、僕に自分を投影させてんのかな? なんかちょっと嫌かも) そんな事を考えていると、千鶴がイスから立ち上がった。 「お母さん、もう出ないといけないから。悪いけど玄関の戸締まりよろしくね。夕御飯は冷蔵庫に入ってる。おかず足りない時は自分で適当に作るように」 いいながらキッチンを出ていく。 「うん、ちゃんとしておくから。行ってらっしゃい」 凛太郎は千鶴の後から玄関まで見送った。 「はい、行ってきます。凛ちゃんも気をつけて行ってらっしゃい」 「はぁい」 一人のキッチンでもそもそと食事を採り、家の戸締まりを確認した後、門の内側で修一を待つことにした。程なく修一がやってくるのが見えた。 「修ちゃん、おはよう」 門の前までやってきた修一に向かい、凛太郎から挨拶した。その声に驚いたのか修一はぎょっとしながら門の内側を見る。 「あ、おはよう……ございます……」 いつもと違う凛太郎の姿に、思わず敬語が出てしまった。ちょっとはにかんだような表情で修一をじっと見つめる少女。首ものとには自分があげたチョーカーがのぞいている。スカートから延びた二本の白い足が艶めかしかった。 (か、可愛い……。やっぱ運命感じちゃったのは正解だっ) 凛太郎はいつもと違う修一の態度が心配になった。 (そんなに似合ってない? 硬直する程不格好かな?) 自転車を押しながら門を出て、修一の前に陣取ると、自分の不安をぶつけてみる事にした。 「あのさ、そんなに変? お母さんは似合ってるって言ってたけど……。笑えない位?」 凛太郎は鏡を見たとき「ちょっといいかな」と思った事に自己嫌悪してしまった。やっぱり男が女子の制服を着るのは変なのだと。 「あ、いや、違うって。リンタ、すっごくいい! うちのクラスの女なんかよりずっといい! めちゃ可愛いって。あ、ちょっと待って」 修一は慌ててポケットから携帯を出すと、デジカメモードにして凛太郎に向けた。 「今撮っちゃうから、そのままそのまま。動くなよ」 可愛いと言われ少し複雑だったが、ついさっきまで自己嫌悪に陥っていた凛太郎はまんざらでもなかった。そのまま動かなず、修一が撮影を終えるまで待った。写真を撮った証である大きな音が、三回四回と鳴り響く。 「もういい? 少し時間取りすぎだよ、修ちゃん。遅刻しちゃうよ」 モデルにでも成ったような気恥ずかしさからちょっと赤い顔になりながら、口を尖らせ登校を促した。 「あんまり可愛いから、熱中しちまったよ」 浅黒い顔を赤くしながら、修一が照れたように「あはは」と笑っていた。 二人で自転車に跨る。凛太郎は昨晩笑に教わったようにサドルに腰掛けてみた。スカートからはっきり出ている腿は多少気恥ずかしいが、サドルとショーツの間に一枚あると言う意識は安心感にも似ていた。 走り出すと笑の言った通り、それ程捲れ上がる心配もなさそうだ。 (うん、このぐらいなら大丈夫そう) 足下を気にしながら慎重に自転車を漕いでいた凛太郎だったが、しっかり前を見て走り始めた。 修一はと言えば、凛太郎の様子をチラチラと伺い見ていた。門の前で自分を待っていた少女は、まさにあの少女だった。自分の理想・妄想が具現化したような気さえした。今もスカートから生えている白い二本の足に見とれてしまう。非常に目の毒だ。 (ああう、触ってみてぇ。頬ずりしてみてぇよ。リンタぁ) 見ないようにしないと、と思ったけれど、ついつい目が足を追ってしまう。そしてその付け根にも。ジャージの時には気にならなかったが、まぁるくふくよかなお尻と張った腰つき。修一にとってはスカートに包まれたそれは、扇情的に映っていた。 (やべぇ勃ってきた。サドルにゴリゴリして痛ってぇ〜) 修一のペニスは会陰部の辺りまで充血し張り切ってしまっていた。ペダルを踏み込む度にサドルで刺激されて痛い。 (これから毎日これじゃ、ちっとキツイよなぁ) 前を行く凛太郎のお尻を眺めながら、そんな事を考えていた。その時凛太郎が振り向いて言った。 「修ちゃん、あんまり後ろまわんないでよ。お尻の辺りに視線感じるよっ」 「や、別にリンタのケツ見てねぇって……」 修一が一気に凛太郎に並びかけた。併走していれば取りあえずお尻は見えない。 凛太郎も修一の目線が腰から下にあるのを知っていた。肌を気にしていた時は、人の視線がどこを見ているのか敏感に感じる事が出来た。今、その経験が修一の下心を見破ってしまっていた。 (もうっ、そんなにチラチラ気にされたら、こっちも気になるじゃんか) 横に並んだ修一の視線が時々下がる。凛太郎は何となく腿にむずがゆさを感じ、片手をハンドルから放し捲れていないスカートの裾を引っ張った。 今度はちらっと凛太郎が修一を見る。見るとは無しに股間に目が行ってしまった。前がもっこりと膨らんでいる。 「!」 (うわっ、ちょっと修ちゃん、なんで?) 途端に朝だと言うのにいやらしいイメージが膨らんでしまう。以前思い描いた大きさ。それより大きいような気がした。ぐぅーっと自分の中に入ってくるイメージが浮かぶと、お腹の辺りがきゅぅっと動くように感じる。 (僕見て勃ってるんじゃないよ。朝の生理現象っ。僕も修ちゃんのアソコなんて見ないっ。必要なしっ) 次第に学校が近づいてくる頃になり、二人はやっと頬の火照りが冷め始めていた。 * * * * * * * * * 校門前には大原が待ち構えていたが、特に何を言われる訳でもなく通り過ぎていた。生徒の中にはピアスをして来たり、髪を派手に染めている輩もいたから、チョーカー位で責められる必要も無いのだろうけれど。 教室までの道のりは、心臓の音が隣の修一にまで聞こえてるんじゃないか、そう思う位緊張したのもだった。丁度先週、教室へ向かうのと同じ心境だ。どう思われるのか、その反応を考えると足が竦みそうになる。ただ以前と違うのは傍に修一がいる事だった。そして「ワンコの修一くん」も心強さの一因ともなっている。 「リンタ、なんかあったらいつでもいいから、直ぐ呼びに来いよ」 修一が昇降口に着くと、靴を脱ぎながら凛太郎に言った。 「うん、言いに行くよ。でもこれもあるし大丈夫」 ニコリと微笑むと、銀の犬を指で摘み、小さく揺らしながら修一に見せた。凛太郎が自分の買ったものを身に付けている。修一は自分の身体の一部が凛太郎と一緒になったような錯覚に陥った。 (あんな風にずっと一緒にいられたら……) そんな事を思うと、股間が全然おさまらない。ちょっと不自然にかばんで前を押さえなくてはならなかった。 「じゃぁ、取り敢えずお昼にね」 「おう」 凛太郎は教室の後ろ側の出入り口から入った。教室内を見渡すとまだ半分くらいしかいない。各々思い思いに、昨日の番組の話をしたり、急いで課題をしていたりしている。凛太郎にとっては、注目されないから好都合だった。 小声で「おはよう」と言いながら、自分の机にゆっくり向かう。何か透明人間になって悪い事をしに来た感じだった。 かばんを机の上に置きイスを引いて座ろうと思った瞬間、左隣に座っていた女生徒が声を出した。 「あ! 山口君っ。制服着てきたの?」 それまで自分たちの事に夢中だったクラスメイトが一斉に声の方を向いた。そしてその隣にいる凛太郎に注目が集まる。 「お、おはよう、菊地さん。昨日できたから……」 一応の礼儀として挨拶した凛太郎だったが、実際には「なんでそんなに大声だすかな?」と少し恨めしく思ってしまった。 凛太郎はスカートが捲れないように慎重にゆっくりと膝をそろえて座っただけだったが、その動作は早めに来ていたクラスの男子と女子の心を射止めるに十分だった。ちょっと上気した顔と、楚々とした動作。その可憐な外見も相まって美少女ぶりを見事に発揮していた。 女子がキャーキャー言いながら凛太郎の周りに集まってくる。 「山口君、すっごく似合ってるよお」 「前からイケると思ってたけど、こんなにとはねぇ」 「うわっ、足細くてきれ〜い」 「男の子の時も可愛かったけど、これは反則すぎ」 好き勝手な事を話し始める。凛太郎は似合うと言われ、取り敢えず安心した。変じゃない、気持ち悪い存在ではないと思ったから。 「あ、あの、あんまり見られると、ちょっと恥ずかしいから……」 凛太郎は正直に自分の心境を伝えた。 「恥ずかしいだってぇ、かわいい〜」 「なんか守ってあげたいって感じ?」 「こうやって見ると、阿部って先見の明があったよね」 「男子なんかほっとかないよね。こっち見てるし」 そう言われて凛太郎が周りを見てみると、登校して人数が増えた教室内は、凛太郎を遠巻きにした男子生徒がじっとこちらを見ている。凛太郎と目が合うと、赤くなって目線を外すコまでいる。 (いや、そんな赤くなられても……。僕男だって解ってるはずなのに……) 制服だけでこんなに変わるのかと、凛太郎は考えていた。自分の周りに同じような生徒が現れたら? その答えを考える前に思考が途切れた。 「え〜? うちのクラスの男子は眼中にないでしょ? もう山口君て売約済みじゃん。ねぇ?」 「は?」 (売約済みって何が ? 誰に?) 「だって、いつも一緒に来て一緒に帰ってるでしょ?」 事ここに至って、修一とデキてると勘違いされている事に気付いた。確かに登下校は一緒だが、それは女性化する前からそうだったし、自分たちとしてはなんら変わっている訳ではないと思っている。 「ええっ? 諸積君てこと? 前から一緒に登下校してるよ。前に言ったけど僕も諸積君もただの友達だし、僕は中身男なんだから……それはないし」 この何日間かは、自分の気持ち自体が推し量れなかった凛太郎だった。好きなのは友達として。男として見てるのか解らない。でも近くにいると安心する。ドキドキする事もままあった。ただそのこと自分が修一と付き合っているというのは、全く次元の違う話だ。 「えー、そうなの? こないだも派手に遣り合ってたしぃ」 「あれ、それなに? 可愛いじゃん」 一人の女子が凛太郎の首元に気付いた。 「えーナニナニ? チョーカー? 山口君てこういうのするんだ」 「意外だよねぇ。実は派手好き?」 「時計にも十字架ついてるのね」 なにやらのっぴきならない所に追い込まれている様に感じながら、凛太郎は当たり障りの無い答えを言い始めた。ここで刺激的な発言をすると、益々彼女たちをエスカレートさせかねない。 「これは、えっと気に入ったのがあったから。別に派手好きじゃないんだけど……。こっちはお守り」 なにか感じる所があったのか、彼女たちはニンマリしながら双方の銀細工を見比べている。 「普通はお守りを身に付けない? どうよ?」 「そうだねぇ、そうかもね。それか男に貰ったのとか?」 どうしてもそっちに持って行きたいようだ。凛太郎ももう勘弁して、と言いたかったが、中々声に出せない。女子の集団は、男子より圧力を感じてしまう。 「別に意味があってくれた訳じゃないし……。あ、ほら、もうホームルーム始まっちゃうよ。席着かないと怒られるよ」 段々、赤くなり慌てる凛太郎は、予鈴が鳴ったことを口実にしようとした。しかし中々自分の周りから離れてくれない。 「あ、山口君可愛い〜赤くなってる」 「言わなくても誰からかってわかっちゃうよね」 (あー、もう、谷山先生早く来てよ) まるで悪い事をして糾弾されているように、凛太郎は俯いて黙ってしまった。取り敢えず嵐をやり過ごすにはこれがいいと言う感じで。 そんなこんなでやっと谷山が来た。三々五々、女子が席に着くが「あとで聞かせてね」と意味深な事を言いわれると、凛太郎は猛烈にどこかへ行きたくなってしまった。 凛太郎が顔を上げると、阿部がじっと見つめていた。あからさまな敵意の交じった目で。 (なんだよ、やましい事してないぞ) そう思い阿部から視線を外した。 * * * * * * * * * 休み時間は、その都度凛太郎の周りに人が集まってきた。チョーカーの件はうやむやに出来たと凛太郎は思っているが、実際にはどうか解らない。ただその話題は、以降出てこなくなったのは助かった。 昼休み、凛太郎はお弁当を持って、いそいそと修一を呼びに行くと、背後では「やっぱり」などと話し声が聞こえてきた。 (なんだかなぁ。どうしてもくっつけたいのかな。小学生じゃないんだからほっといて欲しいよ。あんまり言われるとかえって意識しちゃいそう) なるべく余計な事は考えないように、努めて自分自身は冷静でいようとした。しかし修一を見ると途端にそれが崩れてしまう。 「そんじゃ、部室行って喰おう」 屈託の無い修一の顔を見ると、今朝の自分の戸惑いが馬鹿な事だったと思ってしまう。反面、女の子の自分ではなく、自分自身を見て欲しいと願う気持ちが、一体どういう意味があるのか、胸が苦しくなるのはどうしてなのか、考えてしまう。 答えは出ないまま、二人は他愛の無い話をしながら、部室でお弁当を食べた。 「明日な、選考会があるんだ」 唐突に修一が話し始めた。凛太郎の脳裏にミシマの姿が浮かぶ。 「やっぱりミシマさんと試合するんだ」 少し心配そうに凛太郎が修一の顔を見る。 「ま、脇田さんのお墨付き貰ってるし、絶対勝つって。んでな、明日放課後道場来いよ。俺の強いとこ見せてやる」 自信と野心に満ち満ちた目をしながら、凛太郎を促す修一。こういう表情は中々凛々しいと思ってしまう凛太郎だった。 「え、でも部外者行ったら迷惑でしょ? 見てみたい気もするけど」 ちょっと遠慮がちに言ってみるが、凛太郎自身好奇心はある。自分では出来ない、というかした事がない格闘技。凛太郎は男だった時から細く小さな身体だったから、自分でも縁の無い世界だと思っていた。しかし、同時に逞しさへの憧れもあったから見たいと言う意識が生じても不思議ではない。 「うちの部って市内でも強い方だろ? 結構部外者でも見に来る奴いるんだ。どうだ?」 修一は凛太郎が「行くよ」と返答するのを待ちわびているような、そんな目つきで凛太郎を見つめてくる。そんな修一を見ると思わず可笑しくなって、くすくす笑ってしまった。 (そんな目で見なくても行くのに……) 「な、なんだよ。俺変な事言ったか?」 少し口を尖らせながら、修一が頬を染めて抗議してきた。 「あ、ごめん。なんかすごい必死な目で見るから。なんでかなぁと思ったら笑っちゃったよ。気ぃ悪くしないで。行きます。勝つとこ見せてくださいよ」 「お前、それ全然フォローじゃねーぞ」 修一が憮然とした表情を見せると、余計可笑しくなってしまう凛太郎だった。 * * * * * * * * * その日の放課後、そろそろ教室にも人が疎らになり始めた頃、凛太郎はいつものように図書室へ行こうとしていた。凛太郎が机から離れようとイスから立ち上がったとき、一人の生徒がそこへやってきた。しばらく凛太郎を無視していた阿部だった。 「山口、お前諸積と付き合ってないって言ってたよな」 散々無視しておいてずけずけと言う阿部に、凛太郎は内心ムッとしていた。だからなんだ、と。 「言ったよ。別に阿部君に迷惑かけてないでしょ」 かばんを方にかけ、イスを押し込むと出口へ向かう。 「ちょっと待てよ」 ぐっと凛太郎の左腕をつかむと、自分の方に向かせる。修一とも違う力強さに、凛太郎の心に思わず戸惑いが生じた。 「いたっ、何すんだ。図書室行くんだから放せよっ」 凛太郎はキッと阿部を睨んだが、阿部は全く動じずに勝手に話を進める。 「制服着始めた途端に女になりやがって。俺じゃなくてあいつだってのがむかつくんだ。こんなの着けて来て見せびらかして」 阿部は右手で凛太郎の腕をつかんだまま、左手で「ワンコの修一くん」を触った。凛太郎はその行為に急激に頭に血が上るのを感じる。 「触るなっ。別に女子の制服着たからって中身が変わったわけじゃないっ」 つかまれた腕を振り払おうとするけれど、意外と阿部の力が強く逃れられない。教室に残っていたクラスメイトが何事かと二人の動向を気にしている。 「女連中が言ってたぜ、これは絶対諸積があげたヤツだって。俺もそう思うね」 凛太郎は怒りと恥ずかしさで真っ赤になりながら、自分の首元に下がるアクセサリーをいじる手を両手でつかんだ。 「誰に何を貰おうが、僕以外の人間には関係ないだろっ。いい加減手を放せよっ」 アクセサリーに触れる手を放そうと力を入れるけれど、ビクともしない。元からそんなに力がない凛太郎だったけれど、全く動かない事に、今の自分の情けなさを呪った。 阿部はニヤッと笑った。凛太郎にはその笑顔の意味するところが解らず、気味が悪くなる。どうしようと言うのか? 引っ張られたら、簡単に取れてしまいそうだ。 「ふん、語るに落ちてるじゃん。諸積に貰ったんだろ。いいか? 絶対俺の方向かせてやるからな。振られたまんまじゃ俺だって収まらないんだよっ」 そう言うなり、もう一度チョーカーを見ると、凛太郎の胸に投げるように手を放す。そしてつかんだ右腕で凛太郎を突き飛ばすように手を放した。その勢いに凛太郎はよろめき、机に手を突く。阿部はそのまま振り向かず教室を出て行った。 (なんなんだよ、全く。男に振られたって思う方がおかしいよ) つかまれた左腕がじんじんと痛い。思わず凛太郎はそこを擦っていた。 教室に残っていた生徒が心配そうに凛太郎の傍に寄ってきた。 「ちょっとぉ、大丈夫?」 「あ、うん。大丈夫。なんてことないから」 「あいつ、こないだから変だから、あんまり気にすること無いって」 男女のクラスメイトは、口々に阿部の行動を非難し始めた。凛太郎は、もしかしたら自分がそうさせてしまったのだろうか、とそれまでの行動を省みたが、どうしてもそうは思えなかった。 ただ、修一でさえ、血迷ったような行動を見せた「女の子の自分」が、阿部をのめり込ませていると思うと、変わってしまった自分が嫌になった。そして、それすらもあの魔物が言う「絶望」へと繋がっているかと思うと、薄ら寒い思いがした。 * * * * * * * * * 「今日はなんも無かったか?」 放課後、自転車に乗り二人で帰宅する途中で、修一が尋ねた。凛太郎は阿部の話をするかどうか、少し迷っていた。それが表情に出たのか、修一がもう一度聞いてきた。 「何でも言えって」 凛太郎は少し遠慮がちに今日の出来事を話し始めた。修一の表情が曇る。 「あいつ、そんなにリンタの事執着してんのか……。俺が一度言ってやろうか?」 修一は明らかに腹を立てている。凛太郎にはそれが手に取るように解った。 「修ちゃん、それは止めてよ。あんまり騒ぎ大きくしたくないよ」 不合理な話をしたりすると、まじめな修一が怒るというのは分かり切っていた。だから凛太郎としてはあまり話したくは無かった。自分の事で修一が問題を起こして欲しく無かったから。 「でもな、何となくだけど、嫌な感じすんだよな」 「あんまりしつこいようなら、お願いするかも知れないけど、今は対処出来るし、クラスのみんなも知ってるだろうから」 丁度話しの区切りがついた所で、坂道に差し掛かった。 「ところでさ、チョーカー、修ちゃんに貰ったんだろって女子に冷やかされちゃったよ」 凛太郎は修一に先んじて坂道に入りながら、修一を振り返り言った。 「え〜、みんな知ってるのか? プレゼントって言ったんか?」 修一が凛太郎に追いつこうとスピードを上げる。すると凛太郎もそれを見て立ち漕ぎを始めた。 「僕は何にも言ってないよっ。なんでかみんなにばれちゃった」 「あ!」 凛太郎が、少しキツイ上り坂を、腰を上げ前傾姿勢で自転車を漕ぐ。身につけているのは短めのスカート。当然下から見ると覗けそうだ。普通ならギリギリの線で見えないのだろうけど、思い切り前傾していたから後ろからだとオレンジ色のショーツが丸見えになってしまった。 突然、修一が凛太郎の背後で小さな叫び声を上げた。凛太郎が振り返ると、修一が赤い顔をしながら見つめていた。 「なに? どうしたの?」 凛太郎は立ち漕ぎの状態から、ブレーキをかけ自転車を跨ぐように降り、修一を見た。 「……リンタ、坂道は後ろ気をつけろよ。あと前傾して立ち漕ぎ禁止な」 横に来た修一が言うと、当然凛太郎は不思議そうな顔をした。 「なんで?」 「なんでって……、お前。着ているもの考えて行動しろよ……」 凛太郎が突然スカートの後ろを押さえながら修一に言った。 「……見えたっ? 見たっ?」 「見た、というか見えた。俺だからいいけどな、注意しろって。階段とか後ろから見えないようにしてんの見たことあんだろ」 凛太郎も学校の階段や駅の階段で、女子がスカートの後ろを押さえながら歩いているのは知っている。でも自分は男であるという意識から、ついそれを忘れてしまっていた。見られると恥ずかしいと思う割には抜けている。 「そんな事いうけどさ、なかなか注意すんの難しいんだよ。大体さ、ちょっと見えそうだったら、見える前に言ってくれればいいじゃんか」 口を突き出しながら、小さく文句を言う凛太郎。 「いや、急に見えたからそんな暇ねーって」 修一は尤もな事を言ってはぐらかした。本当は言う暇があったような気がしていたが。 「なーんか、修ちゃんえっちになってるよね。今朝だってさ」 と言ったところで凛太郎は口をつぐんだ。修一の勃起をじっと見ていたなんて解ったらお互いが気まずくなりそうだったし、変に意識してしまいそうだった。 「なんだよ、今朝は写真撮っただけだろ。えっちじゃないって」 凛太郎が言わんとしていることには気づかず、修一は続けていた。ただ修一も写した写真は正当な使い道では無かったから、少し後ろめたい気がしている。 「……えっちじゃないけどさ。いいや、もう。早く帰ろうよ」 「リンタが話し振ったんだぜ。ま、いいか」 二人してはっきりしない気持のまま、自転車を押して坂道を登った。 (その3へ) |