三日目 最初のきっかけ(その1) もう、慣れた朝。いつもより早く起きた凛太郎は自分の姿を見て、羞恥心で真っ赤になってしまった。夕べは自分の欲望に狂い自分を慰めた挙句、修一をオナペットにしていたのだから。自分の心の中に修一を求めてしまっている心理を見つけ、暫し呆然としてしまった。 それに加えて、愛液で濡れまくった股間を全然拭きもせず、ショーツも穿かない格好。自分の淫乱さに嫌悪してしまった。 (僕の中にはやっぱり女の子がいるのかな……。修ちゃんを好きになってる女の子……。こんなの、ひとりえっちしちゃうなんて、修ちゃんに悪いよ……) しかし、夕べの秘め事が与えた快感は、凛太郎の身体に確実に痕を残していた。そしてまたそれを味わいたい自分を、凛太郎は否定できずにいた。 (……気持ち、よかった。すごく。もし、指じゃなかったら? ……もっと違うモノだったら……もっと、気持ちいいかな? 狂っちゃうくらい? …………あー、もうっこんなことばっかり考えてたらダメだ! 切り替えなきゃ) 頭に浮かぶ淫靡な行為を振り切るため、シャワーを浴びに階下に向かった。 千鶴はもう起きているようだった。台所で既に仕度を始めている音がする。何か後ろめたい気がして、凛太郎は足音をさせないように浴室へ入った。 パジャマを脱いで洗濯籠へ入れる。ショーツも脱ぎかごに入れようとしたが、まだ少しぬるぬるとした粘液が付着していた。快楽に耽った自分をまざまざと見せ付けられた気がした。 (これ置いといたらお母さんにばれちゃうな) 凛太郎はショーツを握り締め、浴室へ入った。 イケナイ想いを洗い流そうと、頭から熱いシャワーを浴びる。一通り身体を洗い流すとショーツを洗った。洗いながら凛太郎は猛烈に虚しさを覚えてしまった。 (女の子になったから、こんな事してるんだ。男だったらしないよ、絶対。朝からパンツ洗ってるなんて……) 男でも夢精すれば、自分でパンツを洗う事もある。ただ凛太郎は男時代でもそれ程性欲が強く無かったから、夢精自体の経験が無かった。 愛液を洗い流すと、軽く絞ってそのまま浴室から出た。ショーツは広げてから籠の中へ放り込んだ。 * * * * * * * * * 食事が終わり、修一が迎えに来たが、凛太郎は彼の顔をまともに見れなかった。どうしても夜の事が思い出されてしまう。 (なんでこんなに気まずくなっちゃうんだよ。修ちゃんは男。僕も男。好きになる訳ないじゃんか) 実際には、修一にとってはいつもの朝だったし、表面上も凛太郎に変化は無かったのだが。罪悪感からどうしても気まずいと思ってしまう。 必死に頭の中で、自分が感じつつあった感情を消し去ろうとしていた。 後ろから見た自転車に乗る修一は、肩幅も広く逞しかった。男だった時も感じたが、それはひ弱な凛太郎が男の肉体に憧れたからだった。しかし、今の凛太郎の心情は少し違っていた。その修一の身体に逞しさと、頼りがいと、「男」を感じてしまっていた。 交差点は赤信号だった。二人は道に並んで停まると、修一は右に位置する凛太郎とは反対にあった、映画の看板を眺めていた。 つい、凛太郎の目は修一の唇や太い腕、引き締まった腰を見つめてしまう。そして自然と顔が上気していたのに気づかなかった。 「リンタ、お前大丈夫か? 熱あんじゃないのか?」 不意に修一が凛太郎に問いかけた。凛太郎は修一が凛太郎の顔を覗き込んでいた事も解らない位見つめていたようだった。問われて初めて顔が熱い事に気づく。 「な、なんでもないよっ。朝からあっついシャワー浴びたからっ」 何とか誤魔化そうと必死に取り繕ってみたが、自分でも慌てているのがわかり下を向いてしまった。目線の先には自転車のサドルで圧迫され少し大きく見える修一の股間があった。 (なんで、気になるの……。今まで全然気にしてなかったのに……) 見ているだけで、ドキドキしてくる。そんな妖しい感情に凛太郎の心は千路に乱れた。 (……ふ太いのかな……。あれが、僕の中に……入って……) 修一はそんな凛太郎の様子を気にしつつも、いつものように接していた。 「大丈夫ならいいんだ。具合悪い時は絶対言えよな」 「……うん……」 いつもと変わらず、凛太郎を気遣う優しい修一。いつもと違って修一の身体を嘗め回す様に盗み見て、淫らな事しか考えられない凛太郎。 この時既に凛太郎の心には、「声」が掛けた鍵がしっかり掛かり、身体には快楽が刻み込まれていたが、本人は気づかなかった。今凛太郎が気づいた事はと言えば、修一を見てアソコが濡れ始めてしまい、これ以上自転車に乗りたくない事と、そんな恥ずべき肉体の変化が起こってしまった自分自身への、消えてなくなりたいと思うほどの嫌悪感と修一に対する罪悪感だけだった。 * * * * * * * * * 学校に着くと、やはりじろじろ見られた。それはそうだ。昨日は衆人環視の中でアレだけ派手にやりあったのだから。凛太郎は昨日の行動を恥じたけれど、今となってはどうしようもない。人の噂も七十五日とばかり、なんとかやり過ごす事だけを考えていた。 「リンタ、あんま気にすんな。みんなちょっと面白がってるだけだって。俺たちが普通にしてたら直ぐにみんな飽きちまうよ」 ちょっと早口に修一が言った。凛太郎はその言葉を聞いて安心した。 (よかった、修ちゃんもう怒ってないんだ。やっぱり修ちゃんて頼りになるよね) 見上げながらそんな事を思っていると、昇降口で阿部に会ってしまった。同じクラスなのだから仕方ないが、やはり修一と一緒の時には会いたくない。 「山口、おはよう」 「……おはよう」 明らかに嫌そうな表情で挨拶を返す。修一は凛太郎の様子を窺い見て少し阿部の前に出るように立った。 「おはようさん。えーっと、誰だっけ?」 隣のクラスとは言えど、体育もその他の授業も一緒になった事がない修一にとっては、阿部は全く未知の存在だった。修一は凛太郎に尋ねた。 「阿部、君。クラスのコだけど」 「諸積、おはよう。俺も顔が広いと思ってたけど、知らない奴がいたんだな」 阿部は口元に薄く笑みを浮かべていたが、目は笑っていなかった。凛太郎は軽薄そうな表情と、修一を馬鹿にした物言いに内心ムッとしていた。 「修ちゃん、早く行こう。邪魔になるから」 登校時の昇降口は、徐々に生徒が多くなってきている。「なんだ? こいつら、邪魔な」そんな目で見ていく生徒も増えてきた。 「あぁ、阿部ね。噂は聞いてるよ。じゃ」 修一は素振りでマメだらけの大きな手を、軽く阿部の肩に置き、凛太郎を隠すように横を通り過ぎた。 凛太郎は修一の顔を仰ぎ見て、少し戸惑った。なんとなく怒っている表情だったから。 「修ちゃん、怒ってる?」 「え? なんで? 怒ってねーよ。ほれ、今日も一日がんばろう。昼、一緒に食べような」 そう言うと凛太郎の頭をぽんぽんと叩き、そのまま振り返らずに教室へと行ってしまった。 (やっぱりなんか怒ってるよな。なんで?) ライバルの登場、そんな言葉は凛太郎の頭には浮かばなかった。ぼんやり修一が入っていった扉を見る姿を、後ろから阿部が見ている事には全く気づかなかった。 * * * * * * * * * 思っていた通り、休み時間は昨日の話で持ちきりだった。 「えー、山口君てやっぱ、アレあの?」 「だって、昨日、隣のクラスのコと痴話喧嘩してたよ」 「うっそ、あっちの趣味があって変わっちゃったとか?」 「おい、山口やっぱり女だよな」 「あれだけ見せつけられちゃなあ」 「なんだよ、売約済みかよぅ」 「凛ちゃん、せっかくファンになったのに……」 「あーん、山口くんが男のモノになっちゃうなんてぇ」 「あんた、それやばいって」 「で? 結局山口って男が好きなホモって事か?」 色々な憶測や想像がかき立てられる題材だった。クラスメイトは口々に好き勝手を言っている。聞こえないように言われるのもしゃくに障るが、聞こえよがしに言われるのも嫌になってしまう。 (……もう、僕の事なんてどうでもいいじゃんか。どうせ物珍しい存在なんだから遠くから見てるだけにしてよ……) 凛太郎は周りから干渉されるのを嫌がり、授業が終わると直ぐに机に伏してしまった。それでもクラスメイトの動向は耳を通して聞こえてしまう。 「な、山口」 聞き覚えのある声が凛太郎を呼んだ。無視する事も考えたけれど、あまり孤立するのもどうかと思い渋々顔を上げてみる。 「……なに? 阿部君。僕疲れてるんだけど」 にやけた顔からゆっくり視線を外し、ぶすっとしながら返答した。そんな凛太郎の仕草にも動じず、阿部は話し始めた。 「今度の日曜暇か? 一緒に映画行かないか?」 急な申し出に思わず凛太郎は阿部の顔をまじまじと見つめてしまった。 「はぁ? 予定入ってるから行かないよ。阿部君さ、僕とそんな話してると変な趣味持ってるって思われるよ。やめた方がいいよ」 凛太郎は意味ありげに周囲を見渡した。クラスメイトは凛太郎と阿部のやりとりを興味津々で遠巻きに眺めている。 (日曜は修ちゃんと笑ちゃんと出かけるんだから。大体阿部と行くなんてあり得ないよ) 日曜は三人で店と店員を探し、図書館へ行かなくてはいけない。当然、他の誰かと出かける事などする訳がない。凛太郎は「もういいでしょ」とばかりに、凛太郎は上体をのてっと机に伸ばした。 しかし今日の阿部はしつこかった。 「諸積とデートか?」 「!」 阿部の言葉を聞いた途端、凛太郎は飛び起き、下から睨みながら言葉を紡いだ。 「デートじゃないし。大体阿部君に僕が誰とどこに行くって言わなきゃならない義理ないよ」 ゆっくり、あまり興奮しないように、周りには聞こえないような声だったけれど、はっきり言い切った。しかし、阿部はある程度凛太郎の答えを予期していたのか、周りに聞こえるように大きな声で凛太郎に言う。 「俺、山口の事好きだからデートしたいし、誰かと一緒だとすげー気になる」 突然の阿部の告白に、凛太郎は頭の中が真っ白になっていた。 (好きって、何で、みんなの前で? え? 僕男から告白?) 一瞬の静寂の後、教室中が驚きの声で大騒ぎとなった。 「阿部ぇ、お前そういう趣味だったのか?!」 「きゃー、白昼どうどう告ってるよお!」 「うわー衝撃の告白だあ」 「抜け駆けすんじゃねーよー」 「……俺の姫が……」 「お前も転んでたのかっ」 「待て待てぇ、山口はどうなんだ? 返事は?」 突然自分に振られ、凛太郎は顔を真っ赤にして周りを見渡した。クラス中が凛太郎を期待の目で見つめ、その愛らしい赤い唇から発せされる言葉を待っている。 凛太郎は、はっきり言って戸惑っていた。告白した当の本人は余裕綽々で凛太郎を見下ろしている。 (あ、う、どうしよう……) 真っ赤な顔でおろおろする凛太郎を、クラスメイトの一人が答えを促す。 「山口は阿部の事どう思ってるんだよ。これは大事な事なんだぞ?」 誰にとってどう大切なのか聞きたかったが、凛太郎は答えを言わずに俯いてしまった。 「あ、えと、ぼ僕は……」 「僕は? なんだ?」 クラス中が固唾を飲んで見守る中、凛太郎はキッと顔を上げ、決意を秘めた声で言った。 「僕は、身体は女だけど中身は男だから、男子と付き合うなんて気持悪い。こんなとこで告白されて迷惑だ」 毅然とした態度で、言いたいことは言った。教室内は安堵とも溜息ともつかない声に溢れていた。しかし、一人だけ憮然とした表情で身を凍らせた生徒がいた。阿部だった。凛太郎には阿部の目が冷たく光っているように見えた。 「じゃあ、諸積にも気持ち悪いって言ってやるんだな」 そう言うと、阿部は足早に自分の席に戻ってしまった。凛太郎にとっては好都合だったが、最後の捨て台詞だけはいただけなかった。 一番言われたくない事、修一が自分をどう思っているのか、自分が修一をどう思っているのか、それを突いた言葉に全身の血が沸騰したように思えた。わなわなと唇を震わせ、反論をしようとするが頭に血が上りすぎて言葉にならない。凛太郎は猛然とイスから立ち上がった。勢い良く立ち上がり過ぎたためイスが「がたーん」と音を立て倒れた。しかし、凛太郎のその行動に驚き目を向いていたクラスメイトが目に入り、漸く気持を落ち着かせる。 (修ちゃんと僕の事を、阿部になんかに言われたくないっ。腹たつなっ) 「振られたからって捨てぜりふしか吐けないなんて、サイテーだっ」 大人しい、恥ずかしがりやの、人付き合いの悪い、女子になった男子、という色眼鏡で見ていたクラスメイト達は、この凛太郎のある意味激しさに呆気に取られていた。 * * * * * * * * * 「えっ? あいつそんな事言ったのか?」 昼休み、凛太郎と修一はお弁当を食べに剣道部室に行く所だった。廊下を歩いていく間、凛太郎が午前中の出来事を語った。 「そう。みんなの目の前だよ? びっくりしてフリーズしちゃったよ。昨日の今日だもん」 修一は朝会った阿部の顔を思い浮かべていた。 (ニヤけた顔しやがって……。なんのつもりだよ、俺を意識したって事か?) いくら自分も一目惚れしたからと言って、二三日のうちに行動に移すとは考えても見なかった。ただ修一も人の事は言えない。女の子の凛太郎に会った翌日にはもう、修一なりの正装でうきうきと凛太郎の家に行っているのだから。 修一はじりじりと胃の辺りに嫌な気持が渦巻いてくるのを感じた。どうしてやろうか? 「で、リンタは『俺は男だ〜』って言ってやったんだろ」 凛太郎がそう言うだろう事は想像に難くなかった。修一の認識の中では今の凛太郎は身体は女の子だけれど、心は全く男だと思っていたから。当の凛太郎が「女」として、少しづつ修一の事を「男」と見始めている事とは露とも知らない。 「言った言った、言ってやった。男と付き合うなんて気持ち悪い、迷惑だーってね。それから……」 思いだし笑いしながら話をする凛太郎だったが、急に嫌なことを思い出した。 『じゃあ、諸積にも気持ち悪いって言ってやるんだな』 (修ちゃんは気持ち悪くなんかないもんな。あいつが嫌なんだから。修ちゃんだって、僕の事気持ち悪いって思ってないよ……たぶん) 急に凛太郎は、修一自身が自分をどう思っているのか心配になってしまった。一緒にいてくれる。大事だと言ってくれた。それはいい。けれどそれって親友だから。では女の子として見てるのだろうか? 女の子でも男。そんな自分を気持ち悪く思わないのだろうか? 「どうした? その後なんかまずい事あったのか?」 凛太郎の表情が変わった事に気づいた修一が問うた。凛太郎は顔を上げ、ぱっと表情を変える。 「ん? 大したことなかったよ。捨てぜりふ言ってきたから、僕が『振られたからってそんな事いうのはサイテーだ』って言っただけ」 気持ち悪い発言は、意識的に話さないようにした。藪をつついて蛇を出したくなかったから。 「そ、そうか。リンタ、俺の考えすぎかも知れんけど、振ったって言うのまずくないか?」 「へ? そう? なんで?」 凛太郎には修一の意図している事が全く分からなかった。 「や、振ったって言うのはさ、男と女の話じゃねーか? だからさ、えーっと、なんかまずいかなと」 妙に歯切れの悪い話し方で話をする修一に、もう一度凛太郎が尋ねた。 「わかんないよ、だからなんで?」 (リンタって時々とんでもなく鈍いんだよな……。はっきり言うか) 修一は凛太郎の鈍さに少しあきれた風で、短く刈った頭をカリカリと掻きながら言った。 「……お前自分のこと男って言ってるのに、女が男を振ったって感じで言ったらまずいんじゃないかって事。これでわかったか?」 見上げる凛太郎の顔が見る見るうちに困惑の表情になっていった。 「うそっ? それ、ちがっ、僕そんな意味で言ってないよっ。そんな風に思うもんなの?!」 素っ頓狂な声を上げ廊下の真ん中で立ち止まった。 「うーん、少なくとも俺はそう思ったしなぁ。ま、考えすぎかも知れんけどな」 「なんだよ、どっちなんだよ。もう」 ぷーっと頬を膨らませる仕草が愛らしかった。 (こんだけ可愛かったら、血迷う奴出てくるよな。あんま可愛くなって欲しくねぇなぁ) 血迷った代表のような修一は、勝手なことを考えながら凛太郎の顔を眺めていた。 「修ちゃん、どうしたらいいと思う? これからも告ってくるのがいたらやだよ」 凛太郎は眉を寄せ、困った顔というより泣きそうな顔を修一に見せた。修一も少々心配しすぎたかと思い、話をまとめにかかる。 「昼までクラスの奴らって何も言ってきてないんだろ? お前やっぱ女だとか。だったら大丈夫だろ。これからも男って主張しとけば。あんまり心配すんな」 右手で凛太郎の左頬をムニュっと軽く摘んで、横にひっぱりながら答えた。 「あんらよ、しんふぁいさせたのしゅうちゃんじゃないか。そんなにひっふぁったらのいちゃうよ。やえてよ」 痛くないからか、修一がするからか、凛太郎はその手を外す事無く文句を言う。 「悪い」 ばつが悪くなった修一は素直に謝り、手を離した。その手には、凛太郎の柔らかで気持のいい肌の感触が手に残った。 (その2へ) |