初日 クラスメイト(その3)


 学校から凛太郎の家まで、直線だと約2キロメートル程だった。歩いて行くと大体40分位かかる。修一の家も大体同じくらいの距離だったが、凛太郎の家からは更に20分程度かかった。いつもは自転車で通学していたが、今日は二人とも千鶴の運転する車で登校したために歩きになった。
「クラス、どうだよ。大丈夫そうか?」
 修一が切り出す。
「うん、何とか。みんな今まで興味なかったのにさ、女の子になった途端に集まって来ちゃうんだよ。なんか嫌なんだよね。それにさ、女子は手を握ってきたりさ、髪触ってくるんだもんな。びっくりしちゃったよ」
 正直、触りたくても触れない修一には2組の女生徒が羨ましく感じた。
「……男の方はどうだったんだ?」
「男子は最悪だよ。胸触らせろとか、身体どうなってんだとか、見せろとか。そう言えばファンになっていいかなんて言ってたのがいたっけ。まったく頭大丈夫かと聞きたかったよ」
 凛太郎は昼の出来事を思い出しムッとした口調で言った。
 修一は少しばつが悪かった。自分はファンどころではない、凛太郎に恋してしまってるのだから。それは言えなかったが。
「そうか、もし居づらかったら休み時間はうちのクラスに避難しろよ」
「うーん、今は我慢するよ。なんとか」
 凛太郎は一つ聞きたい事を思い出した。
「あ、そうだ、修ちゃん、先生って僕の事そっちのクラスにも伝えてるの? なんか上級生も知ってる感じだったんだけど……」
 俯き加減だった顔をあげて、修一の横顔を見ながら凛太郎は尋ねた。
「え? 隣のクラスに女子になった男子がいるから、あまり騒ぐなって言ってたな。上級生も知ってんのか?」
 実は修一は教師が言っていた言葉自体を、あまり正確に覚えていなかった。既に自分は知っていたし、何よりも凛太郎が学校に残れるかに集中していたから、ほとんど聞いていない状況だった。ただそんな事を言っていた、位しか耳に入っていない。
「そのくらいしか言ってないのか。なんで僕だってみんな知ってるんだろ」
 凛太郎はジャージで区別するという件については黙っていた。そんなことを言ったら修一が怒り出すのは目に見えていたから。
「教師によって伝え方が違ってんのかもな」
「そんなの個人情報保護法違反だよっ。でも、知られた事はもうしょうがないか……」
(とにかく、今の状況でやってくしかないのか。男に戻るまで……)
 凛太郎は努めて前向きになろうとしていた。
 修一が立ち止まって、凛太郎の肩に手を置き少し顔を近づける。
「俺には何でも隠さず言えよな」
「う、うん。ちゃんと言うから」
 修一の真剣な表情と目に、凛太郎は心臓が大きくドクッと跳ねたのを感じた。その瞳に吸い込まれたかのように、身体が硬直し小さく頷くしか出来なかった。
(あ〜びっくりした。いきなり近づかれるとどきどきするよ。って何でどきどきしてんだろ?)
 凛太郎は自分の動揺を隠すように、違う話題を探した。丁度いい話題は直ぐ見つかった。
「あ、そだ、今度の日曜って暇?」
「暇、だけど。なんだ?」
「お店、ほら入浴剤買ったとこ。あそこに行ってみたいんだ。それと市立図書館。なんか元に戻る方法とか、とっかかりみたいなの探したいから。一緒に来てくれると効率が上がるんだけど。修ちゃんだから倍とまではいかなくても、1.5倍くらいかな」
「何で俺だと効率が下がるんだよ」
 結構本気でムーッとした表情になった修一に、凛太郎が慌ててフォローに走った。
「え、あ、だって修ちゃん本見てると直ぐ寝るじゃんか」
(あ、しまった、これってフォローじゃないよ)
 じっと凛太郎を見つめる修一は、肩を落としながら言う。
「お前な……まぁ、いいか。ほんとの事だし。いいよ、行ってやるよ。リンタ様の為に効率落とさないようにがんばらせていただきますよ」
「ごめん……」
 凛太郎はちょっとすまなそうに視線を落とした。本当はすごく一緒に行って欲しかったのに、変な言い方をしてしまった自分を恥じた。そして何の見返りも求めないで自分の力になろうとしている友人に対して改めて感謝していた。
 しかし凛太郎の心中には気にも止めず、修一はそんなに傷ついていなかった。むしろ、一緒に出かけられる事自体を喜んでいた。
(やった! これってデートだよな。可愛い女の子と一緒に出かけるんだからデートだよな。よっしゃ、がんばってやる!)
 具体的に何をどうがんばるか、計画などなかったが、とにかく初めて女の子と二人っきりで出かける事に修一の頭の中はバラ色になっていた。当初修一が想像していた夕焼けの中で……というシチュエーションには程遠かったが、日曜日のデート確約はそれ以上の興奮を修一に与えていた。
 やたらと近い位置にいる割に、お互いの心が見えていない二人は、そのまま連れだって家路を急いだ。

 * * * * * * * * *

 修一に送ってもらい家に着いたのは七時近かった。千鶴は既に夕食の用意を済ませ、凛太郎の帰りを待っていた。
「凛ちゃんお帰り。遅かったわね。修一君、送ってくれてありがとう」
 千鶴は心配げな表情を作り、凛太郎と修一を玄関で出迎えた。
「ただいま。午前中の授業の補習受けてたんだ」
「千鶴さん、こんばんはっ。諸積修一、無事お届けしましたっ」
 キリッとした表情を見せ、背筋を伸ばして千鶴に報告をする修一の姿に、凛太郎は隣で吹き出してしまった。
「修ちゃん、力入れ過ぎだってば。それじゃ軍人だよ」
「な、なんだよ、そんなに笑う事ないだろ……」
 自分でも変だと思ったのか、修一は珍しく小さい声で反論していた。
「あ、すみません、今日はこれで失礼します。明日また」
 思い出したように修一が帰路につこうとした。
「あら、夕食うちで食べて行かないの?」
 千鶴は修一が夕食を食べて行くのが当然の如く尋ねたが、修一は首を横に振った。
「……実は今日、焼き肉なんですっ。これを逃す訳にはいかないんですっ」
「そ、そうなの。残念だわ。じゃまた今度食べて行ってね」
 拳を握りながら力説した修一に、千鶴が半分あきれながら答えた。
「はい。失礼します。おやすみなさい。明日な、リンタ」
 修一は深々とおじぎして玄関から門へ移動した。そこへ後ろから凛太郎が小走りで寄ってくる。
「修ちゃん。ちょっと待って」
「ん? なんだよ」
 修一が立ち止まると、凛太郎が近寄り言った。
「今日は本当にありがとう。修ちゃんがいてくれて本当に心強かったんだ。これからも、なるべく迷惑かけないから、一緒にいてくれると嬉しいな」
 凛太郎はにこっと微笑んでいた。その可憐な笑顔に、修一はまたしても心臓をぎりぎりと掴まれてしまっていた。
 修一は無言のまま凛太郎の手を握った。白く小さなその手は、少しひんやりしていたけれど、肌はすべすべしていて、いつまでも触っていたい衝動に駆られた。
(リンタ……、お前自分の可愛さを自覚してくれよ……)
「修ちゃん? どうしたの? ちょっ、手痛いよ」
「えあ? わ、悪い。うん、ちゃんと一緒にいるさ。その〜、これは、け契約の握手だな、うん」
 修一が慌てて手を離しかなり適当な事を言った。それでも凛太郎は修一を信じていたから、修一の行動を変に捉えなかった。
「契約ってなんか響き悪いよ。そうだな、誓いの握手ってどう?」
「契約でも誓いでも、一緒にいるって。心配すんな。じゃな、また明日。焼き肉が俺を呼んでる」
 そう言うと、修一は踵を返し、凛太郎を残して走って行った。
「あ、またね。気をつけて……」
 門の内側に残された凛太郎はそう言うと、修一に握られた右手にそっと左手を添え、胸の前に持って行った。
(修ちゃんの手、すごく熱かったな。なんで僕、こんなにドキドキしてるんだろう……。男のくせに男に手を握られて興奮してたら変態だよな……。そんな気、無いのに……)
 凛太郎は、自分の手を握りながら、しばし修一の帰って行った方を見つめていた。

 * * * * * * * * *

「ただいまっ。焼肉はっ?!」
 修一は息を切らしながら、それでも焼肉の事を家人に尋ねていた。
「修一、みっともないから玄関先で叫ばないで頂戴! ご飯まだよ」
 奥から顔も出さずに母親が答える。
「はいはいはい、んじゃ着替えてくるわ」
 がっかりしながら自室へ引き上げ着替え終わると、笑が修一の部屋に顔を出した。
「凛ちゃん、どうだった?」
 相変わらず「凛ちゃん」という妹に対し、修一も最早処置なしとばかり、修正を促す事はもう止めにした。
「リンタの状況考えたら解んだろ。やっぱじろじろ見られたりセクハラされたりしてる見たいだしな」
 修一は赤い目をした凛太郎の顔を思い出していた。胸が詰まるような気がした。
「ちょっと、そういう時こそ体力担当の出番じゃないの? 防波堤になんなきゃダメじゃん」
 睨むような視線を送る笑に、修一も反論する。
「あのなぁ、俺はリンタ守るって誓ってんの。ずっと一緒にいるって約束してんの。大体お前関係ねーだろ。良い話あったけど、もう教えてやんねぇ」
 そう言うと修一はベッドにごろりと寝転び、壁側を向いて笑に背を向けた。
「なによぉ、昨日はちゃんと相談に乗ったげたのに。良い事ってなんなのよ」
 笑はベッドの傍に行き、修一を見下ろした。 (良い事なんていう位だから、よっぽどの事だと思うけど……。まさか! 告白しちゃったとか? ……それはないか。いくらなんでも)  自分のあまりにも行き過ぎた想像に、笑自身がおかしくなってしまった。
「……聞きたいか?」
 修一はちらりと肩越しに笑を振り返った。
 自分が言いたいんじゃないの? と思ったが、笑は極力しとやかに返答した。
「聞かせて欲しいなぁ」
 がばっと、勢い良く飛び起きた修一の顔が笑の胸元付近に近づいた。その目の前の胸を見て、リンタの方がおっきそうだな、などと笑には絶対に言えないような事を瞬時に考えてしまった。
「今日な、リンタと一緒に帰ってきたんだけど、今度の日曜にデートすんだ。良いだろ? 二人っきりで街行って、図書館行ってくんだ。それにな、さっき手ぇ握っちゃったよ。すげーぞ、肌がすべすべしてて小さくてな、ずーっと握ってようかと思っちまった。な? 良い話だろ」
「デートって、良い話って……、お兄ちゃん、告白しちゃったの? 凛ちゃんOKって言ったの? 二人ともホモ?」
「おまっ、ホモって、なんて事言うんだ。告白なんてまだ出来ないだろ。男に戻りたがってんのに出来るかよ。二人で行くからデートっつっただけだよ。変に絡むなよ」
 カッとしかけた修一だったが、自分と凛太郎の事を誤解されたくないとも思い、冷静を装いつつ答えた。
「なんだ、お兄ちゃんが強引に言ったから凛ちゃん仕方なくOKしちゃったのかと思っちゃった。なんだそうか。良かった」
 ほっと胸を撫で下ろした笑だった。
「あ、そうだ、あたしも連れてってよ。日曜日」
「えぇぇ? そりゃ無理だって。せっかく二人っきりなんだぜ? 気ぃ利かせろよ。人の恋路邪魔すんな。牛に蹴られんぞ」
「矛盾してるってば。デートじゃないでしょ? 告白してないでしょ? ならいいじゃん。ていうか馬だよ、蹴るの」
「つーかな、リンタの気持ちも考えろって。女の子んなって結構厳しいんだぞ? 知ってる人間にあんまり会いたくないだろが。俺は別だけどな」
 あまりに自分だけ特別という修一の態度に、笑も段々とムキになってきた。
「絶対行く。お兄ちゃんが大丈夫ならあたしだってきっと大丈夫だもん。女の子は女の子同士がいいに決まってるじゃん。女の子の気持ち、これっぽっちも解んない奴よりいいよ、絶対」
「……勝手にしろよ、もう。リンタに嫌われても知らねぇからな」  笑の一言で、夕方の楽しさも、凛太郎の手の感触も、焼肉への期待感も一辺に吹っ飛んでしまった修一だった。
 * * * * * * * * *
 夕食中、凛太郎と千鶴は、今日の話で終始した。凛太郎は人の見方が男であった場合と女であった場合とでこんなにも違うと、自分の受けたショックを話していた。まるで男であった自分が否定されているかのような感覚は、やはり凛太郎が危惧していた通りとなっていた事も話した。しかし、さすがにジャージの件だけは話せなかった。そんな見世物のような扱いをされたと知ったら、千鶴は必ず転校させると確信していたから。  しきりに大丈夫? と聞いてくる千鶴に、凛太郎は大丈夫だからと答えるに止まった。今は耐えよう、戻れる時がきっと来る、そう信じていた。  シャワーの後、バスタオルを首に掛け、鏡に映った自分をじっと見つめてみる。さすがに四日も経つと、それが自分であると言う認識も強くなってきていた。 (確かに、可愛いかなって思うけど、あんなに大騒ぎする程かな? 修ちゃんにしてもそうだけど……)  正面に映っている女の子は、しきりに左右を向いたり、あごを上げたり引いたりしていた。ふと下を見て、自分の裸が目に入り、凛太郎は慌ててショーツを穿き大きめのTシャツを被った。 (顔は慣れたけど、身体は慣れないなぁ。やっぱり見ると恥ずかしい感じするよな。えっちだし。自分の身体なんだろうけど……)  男の自分は、もっと女の子の裸が見たい、触りたい、と叫んでいる。しかし心のどこかで、見せちゃだめ、とブレーキを掛ける声も聞こえている。凛太郎はそれが女の子の自分の声だとは思いたく無かった。  そう思いつつも、凛太郎は自分に触れたい衝動が抑えられなかった。修一が握った手が熱くなり、その手で触れてみたくなっていた。  赤くプリッとした唇を、人差し指を使い上唇から下唇へとゆっくり、触れるか触れないかのタッチでなぞってみる。痒いような、くすぐったいような感じに、思わずゾクッとした。
(唇って感じるんだ。キスってこんな風に感じるのかな)
 唇から指をずらしていき、手を開きながら頬を伝い、そのまま首筋へ手を這わせる。昨日と変わらない触れているだけで気持ちがいい肌。少しづつ赤みを帯びる胸元は、次第に荒くなる呼吸と共に動いている。
(熱い手……気持ちいい……。修ちゃんの手が触れたら、こんな感じ? もっと気持ちいい?)
 首筋から朱に染まった胸元へ手を移動し、修一の熱い掌を思い出していた。Tシャツの上から乳房にかかる辺りに手が着た時、ゾクゾクしながら下腹部がきゅぅっと動いた。その動きに、凛太郎は急に我に返った。
(あ、何してんだよ、何で修ちゃんの手想像してんだよ。あーっもう、僕は男なんだからっ!)
 殆ど上半身が真っ赤になりながら、浴室から、そして自分の心から逃げるように部屋へ戻って行った。

 * * * * * * * * *

 深夜、ベッドの中で凛太郎は今日の一連の出来事を振り返っていた。そして一つ、腑に落ちない事を考えていた。
(普通、どんな場合でも性別が突然変わったら、みんな大騒ぎするよ。先生達にしても、生徒にしても、何であんなに物わかりがいいんだろう? 学校変わらなくていいのは嬉しいけど、なんだろう、引っかかる……)
 確かにみんな、ある程度のパニックは起きていた。しかし性別が変わったこと自体に関しては殆どの人が問題にしていない。それどころか、女の子になったのだから、女の子として扱いましょう、そんな感じだった。千鶴にしても修一にしても、女性化の理由は追求してこない。どうしたら戻れるか、この大問題にしてもあまり関心がないように思えた。そう、みんなが根治療法でなく、対症療法しか考えていなかった。なぜなのか?
(……殆どの人が同じ方向を向いてるって事は、誰かが作為的に向かせてるって事? そんな事って出来るのかな……。まさか大勢を瞬時にマインドコントロール出来るなんて、人間には不可能だよ)
 そして突然、凛太郎の頭にある人物が浮かんだ。
(人間には不可能だけど、人間じゃないなら……。僕の身体を変えたあの人なら、もしかして……)
 長い髪に人と呼ぶには整いすぎた顔。「ボディーメイト」のあの女性を思い出していた。そして同時に、絶対に戻れないと言われたあの夢も脳裏に浮かんでいた。
(あの女性が全部仕組んで、この状況もコントロールしてる? だから、戻れないのも知ってる? まさか、そんな!?)
 凛太郎は恐ろしくなり、布団を頭から被って嫌なイメージを拭い去ろうとしていた。


(二日目へ)

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