夢見た肌 作:luci◆ap8Dg/LWO.◆m2rEvYNQbQ ◆luci.asptI 【連休編】 一日目 運命への扉 五月の連休の初日、山口凛太郎は嬉々としてプリントアウトした地図を握りしめ、「店」に急いだ。 (あれさえ手に入れば僕も……) 地図に書かれている通り、駅前から路地をいくつか入った所に目指すところはあった。 (あった!! 「ボディメイト」!!) 店舗名も小さく窓に書いてあるのみで看板は出ていない。一見すると見逃してしまいそうな入り口ではあったが、妖しい雰囲気を醸しだしたそこは、凛太郎にはなぜか目的の「店」だと確信できた。 入り口を進むと、正面にカウンターがある。店内をぐるっと見回すと、様々な入浴剤や浴室用の製品が置かれていた。 「いらっしゃい。なにを探しているの?」 ちょっとハスキーで、艶のある声で問われ、凛太郎はハッとしてカウンターの奥からでてきた女性を見た。そしてしばらく目が離せなくなってしまった。 今風の少し茶色い髪。それでいて濡れたように艶やか。その下には白い、かといって病的ではなく、きめ細かな滑らかそうな肌。その中に浮かぶのは三日月を倒したような眉。少し切れ長でまつげが驚くほど長い目。ごく薄い琥珀色の瞳。鼻は正面から見ても形よく高いのがわかる。唇はおそらくルージュを引いているのだろうが、赤くぷるっとしていた。 美しかった。しかし凛太郎の美しさの基準は、一般人のそれとは若干異なっていたけれど。 「あ、えっと、こんにちは、あの、ネットで見たんですけど……」 その妖しい容姿に、というより美しい肌に見とれていたため、凛太郎の返答はしどろもどろになってしまった。じっと見入っていたことに気恥ずかしさを覚え、耳まで真っ赤にして俯きながら口を開いた。 女性はきれいな弧を描く眉をあげながら、凛太郎に語りかけた。 「入浴剤? あぁ、あれね。……奥に一昨日入荷したのがいくつかあったわね。ちょっと待っててね」 「はい」 女性が品物を持ってくる間、凛太郎は商品購入後のことを思い描いていた。 (あれさえ使えば、今度こそ、きっときれいになれる……!) * * * * * * * * * 凛太郎は自分の外見に強いコンプレックスを持っていた。それは母譲りの女の子のような細い眉や、ツリ目ではなくかといって垂れ目でもない印象深い大きな目、くるっとカールした長く密集した睫毛、小さくふくよかで柔らかそうな赤い唇、形はいいけれど少し低めの鼻、そんな顔の造作ではなかったし、高校一年で160センチ程度の背丈でもない。全体的に女の子と見まごう外見は、「それ」と比べればコンプレックスにはならなかった。彼のコンプレックスの種、それは「肌」だった。 生まれた頃からアレルギー体質で、アレルギーマーチだった。小児喘息は小学校にあがる前に治癒したが、アトピーと花粉症は残ってしまった。特にアトピーがひどく、どんなに清潔にしても痒みが出た。いろいろな薬剤を試した。温泉にも行った。でも治ることはおろか良くもならなかった。痒みがひどいと、我慢しようとしてもどうしても痒みに負けてしまう。掻けば表皮が削れ血が出てひどいことになるのはわかっていた。しかし掻いているときの快感は、凛太郎がこれまで経験したどんな快楽よりもオナニーよりも上だった。それ故に凛太郎の肌はどんどん、彼が望まぬ方へ向かっていった。その肌のおかげで、小学校時代はよくいじめの対象ともなっていた。 綺麗な肌は凛太郎の人生の中で最も重要なファクターで、男女を問わずきれいな肌を持っている人間には、嫉妬に近い憧れを持っていた。あんなつるつるできれいな肌になりたい、なんでもいいからきれいな肌になりたい! という欲求は思春期が近づくにつれ、より大きくなっていった。 特に女性の肌は、遠目から見ても肌理細かくつるつるしていて、憧れの的だった。 (女の人っていいな。肌がすごくきれい。すべすべしてそう……いいな。僕もあんな肌だったらよかったのに……) そう何度思ったことだろう。 (男だから肌がこうなのかな。女の子だったらきれいだったかな?) そしてそれは性別への憧れともなっていた。尤も凛太郎にはその意識は無かったけれど。 だから、昨日の晩ネットで見つけた入浴剤は、もしかしたら自分を変える最後の手段になるかも知れないと思い、一も二もなく飛びついた。その広告には「玉のようなきれいな肌。あなたの望む姿になれます!! 是非一度お試しあれ」と書かれていたから。 * * * * * * * * * 「お待ちどうさま」 「は、はい?!」 きれいな肌になったら何しよう? なんて想像していたため、奥から品物を取って帰った女性の声がすぐ背後から聞こえた瞬間、凛太郎は小さな叫び声をあげてしまった。 「この入浴剤はね、たった一回で十分効果を発揮するからね」 「え、一回でいいんですか?」 女性は簡単に説明を始めたが、通常こういった薬用製品は根気よく使わないと効果を発揮しない。凛太郎はまつげの長いきれいな目を大きく開け、思わず聞き返していた。 「そ、一回。ただ効果抜群で、絶対、元には戻らないから、覚悟してね」 え? と、凛太郎は眉根をあげた。 (そんな、こんな肌なんかに戻らなくてもいいよ。かえって戻らないのは万々歳だってば) そんな事を考えたが、口にはしなかった。女性は再び口を開いた。 「それとね、入浴時には自分がどんな風になりたいか、強く強くイメージしてね」 ここまで言うと彼女は急に目を細め、遠慮会釈のない視線を凛太郎に浴びせまじまじと眺めた。するといきなりきれいな手で、凛太郎の顔と言わず体をべたべた触りだした。 「あ、あの……、なななん、で」 女性経験のない凛太郎は、そのきれいな顔を真っ赤にし、うろたえつつ、ぞくぞくするようなその感触の良さに、思わず抗議の言葉を忘れた。 「ふふ、君、いいじゃない。外見も問題ないし、中身も、ねぇ、欲望がつまってるものね」 何かその目に妖しさを感じた凛太郎は、飛び跳ねるように一歩下がった。 「あああの、これいただいて行きますんで……、お金ここ置きますね」 言うが早いか、脱兎のごとく店を後にした。背後から「ちゃんとイメージするのよー……」という女性の声を聞きながら。 * * * * * * * * * 帰りの電車内では、凛太郎は盛大な妄想の中にいた。半袖のカッターシャツやTシャツを着た自分。肌はつるつるですべすべ。誰からもきれいだと言われている自分……。 (あ、そうだ。治ったら修ちゃんと笑ちゃんには一番に見せにいこ。びっくりするぞぉ) 修ちゃん、諸積修一は中学からの同級生だった。凛太郎と違い外向的で面倒見が良く、外見もたくましい修一は、なぜか初対面から仲良くなった。正反対に近いところが、磁石のSとNのように引き合った要因かもしれない。ただ一つだけ凛太郎からすると困ったことは、修一が凛太郎の母の大ファンで、女性として大好きだと公言して憚らない所だった。当然の事ながら、母と作りが似た凛太郎に対しても、千鶴(ちづ)さんと下の名前で呼び「お前の顔見てると千鶴さんを思い出して切ないよ」などと軽口を言ったりしていた。 笑、諸積笑は修一の一つ違いの妹だった。修一をお調子者と言う、年下とは言えしっかりした女の子だった。修一以外に対しては引っ込み思案だった凛太郎に対しても、もっと自信を持って、とか、あまりくよくよ考えすぎないで、とか言いたいことを言っていた。一緒に遊ぶ、というより、凛太郎が諸積家に行ったときには必ずちゃちゃを入れてくるような存在だったが、凛太郎の一番親しい(母や親類を除けば)異性だった。 彼ら兄妹は、常に凛太郎の良き理解者であり、仲間であり、大切な友達だった。少なくとも凛太郎はそう思っていた。 * * * * * * * * * 電車を降り、一路自宅のある住宅街へ。若干高台となっている、昭和の初めから区画整理がしっかりしている地域に山口家はあった。 「ただいまぁ」 「あら、凛ちゃんお帰り。早かったね」 奥から母、千鶴が答えた。 「今日は暑かったから、早めにシャワー浴びちゃいなさい」 「あ、今日はお風呂入るから。新しいの買ってきたんだ」 玄関から居間へ行き、母に今日の収穫を聞かせた。 「今度のは効くといいわね」 「うん」 母としては、産んだ責任として、凛太郎には痒さや、見た目の悪さというものを克服してほしいと願っている。しかし実際には、様々な治療を重ねても治らない現状に、我が子に対して申し訳ないという気持ちで一杯であった。そのためか、最近では凛太郎が購入したい薬剤や薬用製品については、ほぼ無条件で購入を許可している。このため今回も値段も聞かないし、出所さえも聞かない。 「晩ご飯食べてから入るから」 * * * * * * * * * 晩御飯後。凛太郎は期待に満ちて、浴室へ向かった。山口家の浴槽は、香りがいいから、というそれだけの理由で檜だった。凛太郎はシャツもトランクスも脱いで、購入した入浴剤を浴槽内に注ぎ込んだ。 「ん〜、いい匂い。なんだろこれ、ハーブかな?」 心地よい香りが鼻腔を満たしていた。鎮静作用があるのか、深呼吸しているうちに、はやる心が次第に落ち着いていく。 シャンプーして、体を洗って。いよいよメインイベントだった。凛太郎は「ボディメイト」で会ったきれいな女性の言ったことを思い出していた。 (強く、イメージする、だったよね。きれいな肌、きれいな、っていうと……。えっとぉ、そう、誰からもきれいって言われる、すべすべのつるつるの肌。女の子みたいな) ここに至って、凛太郎は女性の肌を女性の身体と一緒にイメージしていた。イメージしつつ、湯船に身体をゆっくりと沈めていった。身体中に染み渡るように、じっくりと。 風呂に入る前までは異常に興奮していた凛太郎だったが、入浴後はハーブの効果か、精神が落ち着き眠くなってしまった。そして、まだ夜は早かったが、次第に睡魔に飲み込まれて行った。 * * * * * * * * * 凛太郎は、夢を見ている、と思った。少なくとも現実ではないと。そこでは、凛太郎の肌が内から外へ、ビデオの早送りのようにどんどん代謝していた。彼は夢の中だと解っていても尚もきれいな、女性のような肌を、強くイメージしていた。実際には女性との交際経験がないため、本当に近くで知っている女性と言えば母か、笑位だったが、記憶の中にある、きれいな肌を持つ女性像全てを総動員し、肌だけでなく女性の身体を含めイメージしていた。 夢はまだ続いていた。肌だけでなく、身体の内側に何かが入り込むような感覚。身体が芯から変貌して行くかの如き律動。全ては明日の朝の変身の為に用意されていた。そして凛太郎は夢だと言うのに、肉体を酷使した直後のような疲労感に教われ、その意識は完全に闇の中に沈んでいった。 (二日目へ) |